「君は無花果の花精とどんな約束をしたのだね?」
すると、蕾は予想外の質問だったのか、虚をつかれた顔になった。
「は? 約束? ああ…まあ、約束というほどではないが、憂いがあるなら晴らすのがオレの務めだとか、迷いがあるなら断ち切ってやるとか、そんなようなことは言った。 が、別に特別な約束なぞはしておらんぞ」
「彼は私に、君はもう自分のものだ、君と約束したと言っていたけれど」
「はあ? オレはそんな事は言っていない。 あいつの勘違いだ」
東雲は溜め息をつく。
憂いを晴らす、という言葉は、相手次第でどのようにも解釈できる。蕾を手に入れることが憂いを晴らすことだと言われてしまえば、確かにそう約束したことになるし、実際、花精もそう曲解していた。
なのにそんなことには全く思い至らないという様子をされると、無性に苛立つ。
「勘違い、ね。 その勘違いのせいで君は囚われて、私は君を傷つける羽目になった」
「どういうことだ」
蕾の問いには答えず、さらに畳み掛ける。
「それから、もうひとつ。 君が太玄大皇に、命を捧げると誓ったというのは本当?」
「なっ! なんでここでヤツの話が出てくるっ。 知らんっ、あいつのたわ言だ」
「でも、君が私の無事と引き換えに命を差し出したというのは本当のことなんだろう? だから細胞毒を埋め込まれて術にかけられて、あんな騒ぎになったのだよね?」
「…っ、それはっ。 仕方なかったのだ、あの時はああするしかなかったからっ…オレだって」
必死になって言いつのる蕾を見て、東雲は我に返った。自分は何をやっているんだ。苛立ちを彼にぶつけて追い詰めたって、何も解決しない。
「…ゴメンよ、蕾。 今のは単なる八つ当たりで、君を責めたいわけじゃないんだ。 もとはといえば全て私が原因なのだから」
「………別におまえのせいではない。 お互いさまだ」
蕾の飾り気のない言葉が胸にしみる。
東雲は、穏やかな口調で話を戻した。
「大皇もね、君が自分で彼のものになると約束した、と私に言ったのだよ」
ハッとこちらを見て何か言いかける蕾を、わかってるというふうに優しく視線で制する。
「君はそんなつもりではなかったのだろう。 でも、彼は君の言動をわざと都合いいように解釈して、それを『約束』という形にしてしまったんだ。 わかるかい?」
確かにあの時はいろいろ動揺してて、東雲さえ無事なら自分はどうなっても構わないというようなことを言った。
無論それは紛れもない本心だが、それが軽率だったと言われればそうなのかもしれない。
「それは…まあ、なんとなくわかる。 …だが、それがお前を悩ませている原因なのか?」
「いや…」
東雲は考え込むように黙ってしまった。どうやって話せばわかってもらえるか、慎重に言葉を選ばなくてはなるまい。
「私が君を好きだって言ったのを覚えてる?」
急な話題転換に、蕾は呆れたような声をだす。
「はあ? なにを突然。 それが何の関係があるのだ」
「関係大ありだよ。 教えてくれたら話すから」
東雲があまりにも真顔で言うので、蕾も仕方なく答える。
「覚えてないわけなかろうが。 人をなんだと思っているのだ」
「そう、ならよかった。 でもね、私は君が好きだけど、君を求めようとか縛ろうとは思っていない」
「…?」
なんと答えればいいのか、いまいち話の流れについていけない。
確かに、好きだと言われたのには驚いたが、その後も東雲の態度はこれまでとほとんど変わっていなかったので、蕾の方もさして気にしてはいなかった。
「君の性質の半分は風だ……君は誰のものにもならない。 花を守るために命をかけることはあっても、誰かひとりだけが君を独占することはできない。 私は君のその気質を誰よりもよくわかっているから、ある意味安心していたのだよ。 決して私だけのものにはできないけど、誰にも君を縛ることはできないってね。
なのに君は、意図してではないといえ、太玄大皇のものになると約束したという――しかもよりによって私のために。 それを他ならぬ大皇自身から聞かされた時の、私の衝撃がわかるかい?
結果的に君は戻ってきたから、最近はあまり思い出さないようになっていたけど、そこへきて今度は、君が守るべき花精までが同じようなことを言い出した。
それを聞いた瞬間に、ショックがまざまざと蘇ってきたよ。 あの時の私がおかしかったのは、花精を通して大皇の幻と対峙していたからだ。
あれ以来、頻繁にフラッシュバックが起こったり、悪夢を見るようになったというわけだよ」
一気に語り尽くして、東雲はようやく息をついた。
隣の蕾は呆然としている。
あの時の東雲の様子についてはそういうことかと納得する一方、太玄大皇がそんなにも東雲にダメージを与えていたことに気付かなかった自分に歯噛みする。
「東雲、オレは…」
口を開くが、しかし、何と言っていいのかわからない。そんな蕾を、東雲はやんわりと拒絶する。
「いいんだ、蕾。 君が気にすることはない。 これは私の問題だから」
だが、それが蕾の神経を逆なでした。
「おまえの問題でも、原因はオレだろう? おまえ、さっきうなされながら、自分がどんな声でオレの名を呼んでいたかわかっているのか」
それはもう、本当に悲痛で苦しげな声だった。東雲のあんな声は二度と聞きたくない。
そのためなら、自分にできることはなんだってしてやる。夢の中だろうがどこだろうが助けにいってやると本気で思ったほどだ。
しかし、東雲は蕾の言葉を違う意味に受け取ったようで、自嘲するように言った。
「夢の中でのことくらいは勘弁しておくれ。 別に、実際に君をどうこうしようと思っているわけじゃないから」
この言葉に、さらに蕾は激昂する。
「違うっ、オレはそんなことをいっているのではない。 おまえ、オレには何もできないと思っているのか? オレが好きだと言ったではないかっ。 本当はお前だってオレを自分のものにしたいのだろう!? だったらオレに直接そう言えばいいっ」
「だってそんな…言ったって、君にはどうしようもないだろう。 自分でもわかってるくせに。 君の自己満足のために、断られるのを承知で、私にそんなこと言えっていうの?」
「そんなの言ってみなければわからないではないか! それとも、そんなことはまったく考えたこともないというのか?」
「そりゃあ、まったくないっていったら嘘になるけど……でも、君が望まないことを無理強いする気はない。 それに、東皇使である私が、御大花将の務めの妨げになるようなことを言うわけがないじゃないか」
こうなったら東雲もとことん頑固だ。お役目のことを持ち出せば、蕾が言い返せないとでも思っているのか。
しかしここまできたら、ああそうかと黙ってしまうような蕾ではない。勢い良く立ち上がり、東雲の眼前にビシッと指を突き付けると、高らかに宣言する。
「確かにオレは御大花将、天地の花を守るためならばいつでも我が身を捨てる覚悟だ。 だが!」
一気にそこまで言い放った蕾だったが、不意に我に返って言葉を止めた。自分はなにかとんでもないことを言おうとしているのではないかと、今さらながらに思いあたって逡巡が頭をよぎる。
しかし、怪訝そうに蕾の言葉を待つ東雲の顔に、隠しきれない疲労とやつれた様子を見てとると、腹を括った。
頭を冷やすために一つ大きく深呼吸し、自分の意志が変わらない事を確認してから、はっきりと告げる。
「だが今宵、このひとときならば、おまえにこの身をくれてやってもよい」
その瞬間、東雲の思考はフリーズした。
この身をくれてやってもよい、と聞こえた。いやまさか、蕾がそんなことを言うわけがない。
では、聞き間違いか?
でなければ、彼がなにか別の意味で言った言葉を、いいように解釈してしまっているだけか?
それとも蕾は「身を与える」という言葉を根本的に勘違いしているのか?
さっきまでの落ち着きぶりとは一転、東雲は混乱の極みに陥っている。
「え……ちょ、ちょっと、蕾。 待って、落ち着いて。 君、何を…そんな」
「おまえが落ち着け」
「いや、そうだけど。 じゃなくて、えっと……何だっけ。 そうだ、君、自分でなにを言ったのか、わかってる?」
「当たり前だ」
「いや違う、えーと…つまり、その言葉の意味するところをだね。 あの…君が言ったのは、ただ一緒にいるとか、キスするとかだけじゃなくて、だからその、つまり、私と身体を」
東雲がそこまで言ったところで、蕾の怒鳴り声が続きを遮った。
「うるさいっ黙れ。 なんなのだキサマは、オレを馬鹿にしてるのか! そんなことはわかっとるから、いちいち解説せんでいいっ。 それより、おまえはどうしたいのかをさっさと言え! オレが要るのか要らんのか、どっちなのか、はっきりしろっ!」
なんという展開だ。
蕾が逆ギレしたところを見ると、どうやら言葉の解釈は東雲の認識で合っているらしい。その上での発言ということは、彼は本当に本気なのだろうか。
呆然自失状態だった東雲だが、そこまで思い至ってようやく我に返った。
そろそろと右手を伸ばして、目の前に立っている蕾の左手を取った。東雲はベッドに腰掛けたままなので、蕾を見上げるような体勢になる。
射抜くような蕾の視線を真正面から捉えたまま、その手を引き寄せて両手で祈るように捧げ持つ。そして、そっと瞳を伏せると、彼の手の甲に唇を落とした。
再び顔をあげた東雲は、この上なく真摯に、万感の想いを込めて告げた。
「好きだよ、蕾。 …かなうのであれば、今宵、君を、私のものにしたい」
そのまま時間が止まってしまったかのように、二人は身じろぎもせずに見つめあった。
やがて、蕾はふいと視線を逸らすと、拍子抜けするほどあっさり了承した。
「わかった…おまえの好きにすればいい」
「蕾…」
ホントにいいのかい?と聞きそうになって、あやうく言葉を飲み込んだ。
ここでそんな事を言ったら、確実に蕾の機嫌を損ね、やっぱり帰るなどと言い出されかねない。
しかし、いまだこの状態に半信半疑の東雲は、おそるおそる蕾を抱き寄せてはみたものの、つい確認するように彼の顔を覗いてしまう。
そんな東雲の煮え切らない態度に何を思ったか、蕾はいきなり東雲の頭を両手で引き寄せその唇を奪った。
「!」
噛み付くような勢いで思いきり唇を押し付けられたと思ったら、すぐに離れていった。何が起こったのかと瞳を白黒させている東雲を見て、蕾は挑むような笑みを浮かべた。
「ふん、東皇使のくせになにをグズグズしておるのだ。 そんなんでこのオレを手に入れられると思うのか」
あまりにも蕾らしい言い種に思わず脱力した東雲は、声をたてて笑ってしまった。
「ぷっ…ハハ………まったく、君にはかなわないね」
たった一言で東雲の心を解してしまった彼に、心の底から愛おしさが込み上げてくる。
肩の力が抜けてようやく本来の調子を取り戻した東雲は、ここからは本領発揮とばかりに不敵に微笑んだ。
「いいのかい、そんなことを言って……後悔しても知らないよ?」
「ぬかせ。 おまえこそ怖じ気づくなよ」
こうなれば、もはや遠慮は無用。
今度こそ東雲の方から極上の接吻けを仕掛けると、そのまま二人重なるようにしてベッドへと縺れ込んだ。
…終わりませんでした。すみません、もう少しだけ続きます。