短夜花莟 前編




「な〜蕾。 お前さ、東雲となんかあったのか?」

 いつもの夜、透のマンション。
 ゲームのコントローラーを器用に操りながら聞いてきた透に、雑誌片手にビールを飲んでいた蕾は怪訝そうに顔を上げた。
「いや、最近は見かけんが…なぜだ?」
「あ、そうなの? なんかあいつさ〜、この頃、学校でしょっちゅう溜め息ついてるし、なんか元気ないっつーか、心ここにあらずっつーか、ちょっと思いつめてるカンジ? 無花果の時のことまだ気にしてんのかと思って聞いてみたんだけど、何でもないよ、とか言ってはぐらかすし。 てっきり、お前となんかあったのかと思ったんだけどな〜」

 蕾はしばらく何かを考えるようにしていたが、やがて投げやりな答えを返す。
「ふん、あいつのことだから、どうせくだらないことをウジウジと悩んでいるのだろう」
「そうかぁ〜? なあ、おまえちょっと様子みてこいよ。 今日だってせっかく女の子誘ってカラオケだったのに、あいつが付き合ってくれないから、皆すぐ帰っちゃってさ〜」
「結局、おまえの目的はそれか。 そのうち元に戻るだろうからほっとけ」
 興味なさそうに言って、残ったビールを一気に煽る。

 しかし、なんとか夏休みまでに東雲を復活させたい透は、蕾に取り縋った。
「冷たい事言うなよ、つぼみィ〜。 オレは本気で心配してんだって。 おまえだってちょっとは気になんだろ?」
「オレはうるさいやつがいなくて、せいせいするがな。 じゃあな、オレは寝る」
「えっ、なんだよ、早くねぇ?」
「ああ、ちと飲み過ぎた」
「ふーん、まあいいけどさ。 オヤスミー」

「………ちぇっ、素直じゃねーの」
 透の最後の呟きは、扉の向こうに消えた蕾には届かなかった。







「東雲君、どうしたの? 最近、元気ないわね」

 田科家での夕食時、学校で透に言われたばかりの台詞を、英子にまで言われてしまった。これではいけないと反省しながら、東雲はあたりさわりのない笑顔を作る。

「そんなことないですよ。 最近、ちょっと遅くまで本を読んでいるので、少し寝不足なだけです」
「そ〜お?それならいいけど。 明日は土曜日で学校お休みでしょう? 私とお父さんは、午前中から知り合いの講演会に行かなきゃいけないから、ゆっくり寝坊してていいわよ」
「そうですか。 じゃあ、お言葉に甘えて明日は家でのんびりしてようかな」
「そうそう、一緒に来たりすると、またお父さんにくだらない雑用とか押し付けられちゃうしね」

 すると、会話を聞いていた隣の田科教授が反論する。
「英子、くだらないとはなんだ。 それに最近は学会もないから、そんなに無理はさせてないぞ。 人のことより、お前は自分の心配をしなさい」
「おあいにくさま、私は心身ともに絶好調ですよーだ」
「そういうことじゃなくてだな……その、教行くんのこととかをだな」
「なんでここに教行が出てくるのよっ」
 その後は、いつも通りの親娘の会話を、東雲がまあまあとなだめながら、賑やかに食事を終えた。


「ふう……」
 しかし、自室に戻るなり大きな溜め息をついてしまう。
 透や英子の指摘通り、ここ数日、やや鬱状態であることは自覚していた。
 原因はいわずもがな、先日の無花果の一件である。
 あれ以来、太玄大皇の「花将(あれ)は余のものじゃ」という発言や、その時の一連の騒動が、昼夜を問わず、折に触れて頭の中に蘇ってくるのだ。
 英子に寝不足と言ったのもあながち嘘ではなく、夜中に悪夢で目覚めてしまうことが多いので安眠できていない。しかも、どうしたらこの状態が解消できるのかわかならい。
 蕾に会えばあるいは、とも思うのだが、どんな顔をして会えばいいのか。それに、もし会った時にフラッシュバックが起こってしまったら、またこの前のように怪我をさせてしまうかもしれない。
 そう考えると無闇に会いにいくのもためらわれて、結局、八方塞がりな状態が続いている。

 今日も安眠は期待できないなと諦めながらも、明かりを消してベッドに入る。
 寝不足ゆえ、すぐに眠気はやってきた。







 深夜、草木の精霊も寝静まった頃。
 皓々とした月明かりをバックに、透のマンションから飛び立つ小さな人影があった。
 
 天地の花を守護しその憂いを晴らすため、いつ、いかなる時でも駆け付ける御大花将の姿である。しかし、今夜の目的地は花精の所ではなく、幼馴染みの下宿先。

 透にはああ言ったが、実は蕾にはひとつ気になっていることがあった。
 そのことを考えていたら、一旦は布団に潜り込んだものの、どうにも目が冴えて眠れなくなってしまったのだ。
 
 先日、無花果の内側に囚われた蕾を助けに来た時の、東雲の様子。
 花精と話すうちに、だんだんと切羽詰まったような、追い詰められたような表情になっていった。そこに浮かんでいたのは焦りや緊張、さらには恐怖にも近い、普段の東雲からはあまり想像つかないものだった。
 最後には錯乱状態に陥っていたようにも見えたし、杖の力が暴走したのもそれだけ精神状態が危うくなっていたということに他ならないだろう。
 だが、何故?
 相手は怪魔などではなく、戦闘力など皆無の一介の花精だ。
 酩酊して閉じ込められた自分がいうのもなんだが、東雲の能力からすれば、説得するなり術を使うなりして蕾を取り戻すのはさほど困難ではなかったように思う。
 蕾が動けないためやりにくい状況だったのかもしれないが、少なくとも恐怖を感じる相手でなかったのは確かだ。
 今思うと、透の家で落ち込んでいたのも、蕾に怪我を負わせたからというより、何か他の原因について思い悩んでいたのではないだろうか。

 では、その原因とは何か? 
 
 本人に聞くしかあるまい。







(あれは余のものじゃ……私だけのものです……花将自身が誓ったこと……私の憂いを晴らしてくださると……貴公の無事と引き換えに……約束されたのです……その命を余に……花将さま御自身がおっしゃたのです……余に捧げると…この方はもう私のもの……約束したのじゃ……約束……)

 
「…ののめ、東雲! おい、しっかりしろっ! 東雲!!」

 がくがくと身体を揺すられて、急速に意識が浮上する。
 ぼんやりした視界に入ってきたのは、なぜか必死な表情の幼馴染み。
「東雲……オレがわかるか」
「………つぼみ?」
「大丈夫か。 ひどくうなされていた」
 どうして彼がいるんだろう。まだ夢の続きを見ているのだろうか。
 全身にまとわりつく悪夢の残滓が強烈すぎて、頭がうまく働かない。

「ちょっと待ってろ」
 そんな東雲の様子を見て蕾は一旦部屋を出ると、勝手知ったる他人の家、すぐにコップに水を入れて持ってきた。電気は消えているが、月明かりが差し込んでいるので不自由はない。
 蕾は東雲の背を支えて、身体を起こしてやった。
「飲め」
 東雲は言われるままにコップを飲み干す。喉を流れる水の冷たさに、ようやく少し落ち着いた。

 あらためて状況を整理すると、ここは下界の自分の部屋、今は深夜1時過ぎ。
 自分の目の前で、腕を組んで仁王立ちしているのは紛れもなく蕾だ。
「蕾……どうして、ここに?」
「おまえの様子がおかしいというから見にきた」
「ああ、透から聞いたのだね。 起こしてくれてありがとう」
「なんの夢を見ていた?」
「え?」
「様子がおかしいというのは、その夢が原因か」

「いや……その」
 そうとも言えるし、違うともいえる。悩んでることが悪夢となっているわけで、夢が先ではない。
 しかし、説明しようとすれば、太玄大皇とのやりとりから蕾に話さなくてはいけない。なるべくなら触れたくない話題だ。
 東雲は視線を下に向けると、
「どんな夢だったかよく覚えていないんだ」
と誤魔化した。

 しかし、蕾の追求はやまない。
「オレに関わることか」
「え? なんでそんな。 違うよ……君には関係ない」
「嘘だ」
「嘘じゃない」

「おまえはうなされながら、オレの名を呼んでた。 何度も」

 東雲が弾かれたように顔を上げた。

「それは…」
 何か言おうと口を開くのだが、言葉が見つからない。
「おまえ、この間の無花果の時もおかしかった。 どうしても話したくないのなら、オレはそれでも構わない。 が、今度また同じようなことがあったら足手纏いになるから、話す気がないなら今後一切オレに関わるなよ。 じゃあな、オレは帰る」
 言い捨ててさっさと踵を返す蕾に、慌てたのは東雲だ。
「ま、待って蕾」
 月明かりの中、振り返った蕾としばらく睨み合う。が、折れたのはもちろん東雲である。

「……君にそんなふうに言われたら、話さないわけにいかないじゃないか」
「ふん。 頭のいいやつは、なんでも自分で解決できると思ってると、余計泥沼にはまって抜けだせなくなるのだ。 だいたいオレに関係あるのなら、オレに言うのが一番早いだろうが」
 本人にこそ言えないことの方が多いと思うのだが、こうなっては仕方がない。
「わかったよ。 でも、先にちょっと確認させておくれ」
 ようやく蕾も組んでいた腕を解いて、東雲の隣にどかっと座った。長期戦の構えということか。

「なんだ」



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酔狂果のあのシーンの東雲については、蕾にぜひともつっこんで欲しかったなあと思って…



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