何年かぶりに自分の寝台に入って横になったというのに、目が冴えてしまってなかなか眠気がやってこない。
厳しい修業が終わって懐かしい故郷に戻ってきたということもあるだろうが、やはり一番は、蕾に会えたことで気持ちが昂揚しているのが原因だろう。
まさかこんなにすぐに彼に会えるとは思っていなかった。
記憶の中と寸分違わぬ、いや、記憶よりも何倍も鮮烈で確かなその姿を見て、その声を聞いて、その香りを感じて、どれほど嬉しかったことか。溢れる想いを押さえきれないままに、思い切り抱きしめて、告白までしてしまった。
本当はもう少し、スマートでさりげない段取りとかを考えていたのだけれど…。
だがまあ、きちんと話せてよかった。いろいろと予想外で衝撃的な事実もあったけど、蕾がこれからも変わらないでいてくれることは間違いない。恋愛方面での進展はおそらく望めないだろうが、それでも、過去に囚われ恋ではないと思い込み、その執着心に悩んでいた頃と比べると格段の進歩だ。
恋だと自覚し蕾にハッキリと告げたことで、東雲自身、ある種の踏ん切りがついた。
おそらく一生、自分は彼の呪縛から逃がれられない。だが、それで良い。
昔から、この先もずっと妻帯せずに蕾を想い続けていくことになるだろうという漠然とした予感はあった。そして、今夜、はっきりとその決心が固まった。
それは、決して後ろ向きな諦めや悲愴な覚悟などではない。なにがあろうと揺るがない確固とした信念であり、生きる指針となるものだ。
これで、今後さらに本格化していく緑修天司の修業にも、雑念なく真摯に打ち込めるだろう。
そんな決意を新たにしながら、東雲はようやく穏やかな眠りについた。



一方、その頃の華恭苑。
蕾も自室に戻り寝台に入ってはみたものの、やはりなかなか寝付けないでいた。
東雲が帰ってきた。
はじめは心底驚いたが、驚きが過ぎたあとは、なんだかんだで楽しかった。
なにより懐かしかったのは彼が醸し出す独特の雰囲気だ。華恭苑の華やかで優美で繊細な――蕾にとっては少々居心地の悪い――空気とは違って、気兼ねなくくつろげる清浄で落ち着いた佇まい。
言葉にするのは難しいのだが、この感覚を東雲と居る時以外に感じることはない。ヘタをすると、東雲といる時の方が、華恭苑の自室にいる時よりも安らげるかもしれない。昔、そのことがなぜか無性に腹立たしくて、殊更に東雲を避けていた時期もあったくらいだ。そんな、すっかり忘れていた過去まで思い出した。
東雲がいない間あんなにも思い出してしまっていたのは、無意識にそれを求めていたのかもしれないと、少し腑に落ちた気分だ。
正直な所、自分は東雲が早く戻ってきて、けっこう嬉しいのだと思う。
しかし、どうもスッキリしない。
原因はわかっている。
東雲が言った「君は別に何もしなくていい」という言葉。
あいつはオレが好きだと言いながら、オレには何も望んではいないというのか。そんなバカな話があるか。恋をしたというのなら、相手に求めることなんていくらでもあるハズだ。
聖仙だから?
確かに、強すぎる欲望や激しい欲求は聖仙にあるまじき感情だ。もしそんな感情を持ってしまっても、それを表に出すことは一種のタブーとされている。特に緑仙はその傾向が強く、嬉しいとか楽しいとかのプラスの感情(花仙にとっては美しく咲くために欠かせないものだ)でさえ、大っぴらに表すことをあまりよしとしない。そんな天仙にあって、感情のままに勝手気ままに振る舞う風仙はかなり特殊な存在だ。
蕾は風の気質が強いから、東雲の抑制しすぎたような態度に納得がいかないのだろうか。
でも、東雲の行動だけ見たら決して控えめではないと思う。透たちも言っていたが、そうと分かって見ていれば、けっこうあからさまだ。
いくら色事に疎い蕾だって、恋愛において相手にどんなことを求めたくなるのかぐらい、なんとなく見当はつく。実際に言われたら困るのかもしれないが、あんな風にまるで蕾には何もできることがないように言われると、それはそれで納得がいかない。
心の中でいくら望んでいようと、口に出さなければ望んでいないのと一緒だ。たとえ絶対に無理な願いでもただの我が儘でも、口にして欲しい想いがある。
東雲はいつもそうだ。
普段は余計なことをベラベラとしゃべるクセに、肝心な所は話さない。滅多なことで本心を見せない。
だいたい八年前だって、蕾が最後の最後に会いに行かなければ、あのまま何も言わずに円時山に入室してしまう気だったのだろう。
今日だってたまたま蕾がこなければ、東雲が戻ったという知らせを聞いて蕾が会いに行くまで、当分、会わずにいたつもりなのかもしれない。
そう考えると、モヤモヤする。
東雲は自己主張はするくせに、自分の中で完結してしまう。一応、伝えるだけは伝えるのだが、あとは蕾の意志に委ねる。実際に事がどう運ぶのかは、たいてい蕾任せなのだ。
蕾の意志を尊重しているのだと言えば聞こえはいいが、要は責任や決定権を放棄しているのではないか。それともハナから諦めているのか。むろん、蕾とて素直に東雲の言うことを聞くことはほとんどないから、そういうことの積み重ねと言えるのかもしれないが、でも、昔からそうだったように思う。
きっかけは東雲が作る。仲良くしてくれと文を寄越したり、一緒に遊びたいと言うのは東雲なのだが、実際に足を運んだり誘い出すのはたいてい蕾の方だ。蕾が行けば喜ぶくせに、東雲は何か用事や口実がない限り自分からはあまり動こうとしない。幼い頃はそれでもそれなりに行き来していたが、長じて後、蕾が敢えて行かなくなってからは下界で再会するまでの数年間、ほぼ没交渉だった。東雲が留学していたことすら知らなかったくらいだから、相当なものだろう。
まあ、これまではそんなものなのだと思っていたし、その方が蕾としても気楽だから放っておいたが、あそこまでの告白をしておきながら、まだあんな態度をとり続けるというのはどういう了見だ。
なぜもっと相手に働きかけて、望みを得ようとしないのだろう。
それで蕾が困ろうが怒ろうが、そんなことは今更なのだから、言うだけ言ってみればいいのだ。言いようによっては、少しくらいどうにかできるかもしれないのに……。
と、そこまで考えて、蕾はハタと我に返った。
ちょっと待て。
どうにかできるとは、何をどうするつもりだ。
だいたいオレは、東雲に一体何を期待しているのだ。
何もしなくていいというのなら、それでいいではないか。
何故、こんなにこだわってしまうのだろう。
それとも、オレが、どうにかしたいのだろうか…。
そして、思考はついさっき東雲と交わした握手に行き着く。
あれは、あの感覚は、何だったのだろう。
現象だけみれば、そして、自分の身に起こったことでなければ、一応、見当がつく類のものなのだが……。
単に認めたくないだけなのだろうか……いや、しかし……そんなことは……だが…。
堂々巡りの思考の迷路にドップリとはまってしまった蕾は、結局、まんじりともせずに夜明けを迎える羽目になった。



そんな蕾の逡巡などつゆ知らず、東雲は、翌日から怒濤のように忙しい日々を過ごすこととなった。
各方面へ帰還の報告と挨拶回りの合間に、黎明殿を訪れる客人たちとの対面。さらに、入室時は潔斎があるため催されなかった祝宴への出席。そして、自室に戻ってからは、数種類に及ぶ修業の報告書や成果論文の執筆など、文字通り休む暇もない。
極めつけは、これからまさに春という、東皇使の最も忙しい時期に戻ってきてしまったことだ。
東雲が居ない時は、代理の者や次期東皇使の修業をしている萌葱などが儀式や式典を執り行っていたのだろうが、東皇使が居るのならばもちろん東皇使が全て取り仕切らなければならない。今更、自分の職務について泣き言をいうつもりはないが、もう少し帰る時期を考えればよかったかと、若干の後悔が頭をよぎる。
しかし、傍目にはそんな様子をまったく見せず、東雲は全てのノルマをそつなく完璧にこなしていった。

そして帰還から半月ほど経った、ある夜。
ようやく少し落ち着いて、久々に時間が空いた。休める時にきちんと休んでおいた方がいいだろうと、東雲は早めに寝所に向かうことにする。
灯りを落とし、眠るまでのほんのひととき。
ついつい頭に浮かんでしまうのは、誰よりも愛おしい花の姿である。
東雲が帰還したあの夜以来、全く顔を見ていない。錦花仙帝へ帰還の報告をするために華恭苑に赴いた時も、薫や曄には会ったが蕾はいなかった。
予想していたことだし別に気にすることはないとは思うのだが、あんな話をした後なので、ひょっとして避けられているのかもしれないと、ついついイヤな方へと想像が傾いてしまう。
これから数日はそれほど忙しくないし会いに行ってみようか、会いに行くのになにか良い口実はなかっただろうか、と真剣に考え始めた所で、寝所の窓がカタリと小さな音をたてた。
怪訝に思って暗がりに目を凝らすと、そこには、誰あろう、今まさに東雲が思い描いていた人物の姿があった。
「蕾……どうしたんだい?」
「別に、ヒマだったから来てみただけだ。 寝ていたのなら帰る」
「いや、眠れなかったから、ちょうどよかったよ。 ちょっと待って、今、灯りをつけるから」
そう言って起き上がろうとする東雲を、いつの間にかすぐ傍まできていた蕾が押しとどめた。
「いらん。 別に話をするだけなのだから灯りがなくてもよかろう。 それよりもっとそっちに詰めろ」
言いながら寝台に乗り上げようとする蕾に、東雲が驚く。
「は? え…ちょっと、蕾? 君、何やって…」
「おまえこの前、もっと話を聞きたいと言っておったではないか。 だからワザワザ来てやったんだ」
「えっと、それはすごく嬉しいんだけど、その、なんでこんな状態に…」
上掛けを捲って寝台にもぐり込もうとする蕾と、半身をよじってそれを必死でブロックする東雲。
ハタからみたら、夜這いにきた蕾を拒む東雲という、なんとも情けない構図のようではないか。
「なんだというのだ。 どうせここで寝るのだから手間が省けていいではないか。 なにか不都合があるのか」
まさか泊まる気なのか!?
東雲にとっては青天の霹靂だ。確かにこの時間に来るということは、そうするのが自然な流れだ。現に昔は、遊び疲れて泊まっていくこともよくあったのだが。
だがしかし。
「不都合もなにも、君、こないだの私の話、ちゃんと聞いてた?」
「なんの話だ」
「いや、あの、私は君が、その……恋の相手として好きなのだよ?」
「それは聞いた」
「えっと、だから、その、そういう状態で、一緒に寝るというのはどんなものかと……」
「これまで通りで構わないと言ったのはおまえだぞ。 だったら別に問題なかろう」
蕾に問題がなくても、東雲には大アリだ。
「それに話をしたいと言ったのもおまえの方だろうが。 おまえは、あれか? 話が終わったら、こんな真夜中にオレを外へ放り出す気か? それとも、疲れてるくせに夜通し起きて話すつもりか?」
「いや、まあ、そう言われると困るんだけど」
「オレは気にせんから、おまえも気にするな」
その言葉に、東雲は大きな溜息をつく。
できればこういうことは言葉にすることなく察してほしいものだが、やはり蕾にはきちんと説明しないといけないようだ。
「あのねぇ……君、私が昔せっかく恋する心を体感させてあげたのに、すっかり忘れているだろう。 触れたいという切実な想いとか、どうしようもなく相手を求めてしまう気持ちとか……」
「フン、そんなこともあったな…だが、それが何だというのだ」
「私はどうやら相当に未熟者みたいだから、君に対してそういう情動を抑えられなくなるかも、と言っているのだよ?」
少しは危機感を持ってもらえるように、熱っぽい瞳で間近に蕾を見つめてやる。
しかし、対する蕾はあっけらかんとしたものだ。
「ほう、意外だな。 おまえはオレにして欲しいことなどないのではなかったのか」
「君にして欲しいことはなくても、私がしたいことはたくさんある」
ヤケなのか本心なのか、きっぱりとそう言い切った東雲に、蕾は少し驚いた。
なんだ、そうだったのか、紛らわしい。だったら最初からそう言えばいいのだ。
「別にいちいち言わんでも、おまえはいつも断りもなくベタベタと触ってくるではないか」
「いや、その言い方はどうかと思うんだけど…まあ、だから触れるといっても、もう少しこう、その、触れるだけじゃなくて、もっといろんな事までしたくなるかもしれないというか……」
さっきまでの挑むような瞳から一転、困ったように眉を下げて言葉を濁した東雲の顔を見て、蕾はぷっと吹き出した。
そんな情けない顔で言われたって全く説得力がない。
「無抵抗のオレを殴れもしなかったヤツが、八年ばかり修業したくらいで何かできるようになったとも思えんがな。 それに力でおまえがオレにかなうワケがなかろうが。 オレがイヤだと思ったら即殴り飛ばしてやるから安心しろ」
まあ、確かに、メンタル的にもフィジカル的にも、東雲が蕾に無理強いできるハズないのだ。蕾がここまで言うのは、一応、東雲の気持ちもちゃんとわかった上で信用してくれているということだろうから、ちょっとした出来心で手を出すくらいなら許されるのかもしれない。だが、思い切り抵抗されたらされたで新たなトラウマになりそうだ。
「……おかしいなあ。 修業から帰ってきたら、君ごときがそんな口をきけないような相手になってるハズだったのに」
「まだまだ未熟者だということだな。 わかったらさっさとそっちに詰めろ」
「はいはい」
なんだかすっかり毒気を抜かれてしまった東雲は、苦笑のなかにも若干の嬉しさを押し隠して、蕾に場所を空けてやった。
とうとう同衾してしまいました。二人ともどうするつもりなんでしょうか(^^;)
次回でようやく終わります……たぶん