還春郷 <4>




 思い出すだけで、あの屈辱がよみがえってくる。なんであいつらにあんなことを言われなければならないのだ。

 あの腹立たしさをどうにかして張本人である東雲に思い知らせてやりたいのだが、生来の口下手に加え、口に出したくないNGワードが多すぎてうまくまとめられない。
 蕾は抗議するのを諦めて、とりあえず思いっきり東雲を殴り飛ばした。

「………わ…私が何を………」
「とにかくキサマのせいで、オレはものすごく迷惑したのだ!」

 首まで赤くして怒っている蕾の様子から、東雲は詳細を聞かずともほぼ正確に事情を察した。

「あー……それは、まあ災難だったね、悪かったよ。 でも、ホントにあんなに皆にバレてるとは思わなかったからなぁ。 まあ、恋は盲目とも言うし仕方ないのかもね。 ずっと、恋ができない事が東皇使として未熟なのだと思っていたけど、本当に未熟だったのは、恋をしてるのに自分だけ気付かない事だったなんて。 まさか君に二度までも恋をしてしまうとは、予想だにしていなかったよ。 だけど本当は、そう…、下界で君と再会したあの時から私の恋は始まって…いや、もしかしたらもっと前から何度も、君だけに心を奪われ続けて」
「ダーッ! うううるさい、やめろっもういいっもう黙れっ! もう何も言わんでいいっ! この話は終わりだッ」
 熱っぽい瞳で情感たっぷりに蕩々と恋について語る東雲を大声で遮った蕾は、両耳を掌で塞ぎながらあまりの羞恥に悶絶している。

 その様子を見た東雲は、我が意を得たりとばかりにほくそ笑んだ。
 そう、やはり蕾の反応はこうでなくては。
 東雲の気持ちを冷静に受け止めてくれたのはありがたかったが、その反面、会わなかった八年で、色事に初心な蕾が急に分別のある大人になってしまったような感じがして、なんだか少しばかり寂しかったのだ。
 だが、何年経とうと、やっぱり蕾は蕾だった。

 東雲はさらなる反応を引き出すため、額を指で押さえ首を振りながら、これ見よがしに嘆息してみせる。
「……はぁ……」
 案の定、蕾がジロリと見咎めた。
「……なにか文句があるのか」
「なんだって私は、君に恋なんてしてしまったのかなと、つくづく思って」
「オレの台詞だっ!」
「せっかく、あそこからが聞かせどころだったのに、こんなにも口説き甲斐がないとはね。 その気になれば、どんな女性だってよりどりみどりで、百人の后を持てるはずの東皇使なのに、何もよりによってこんなガサツで粗忽で乱暴で情緒の欠片もない単細胞の朴念仁を選ばなくてもいいと思わないかい?」
「キサマはオレを馬鹿にしているのかッ」

 胸ぐらを掴んでガクガクと揺さぶってくる蕾に、東雲は頬が緩むのを押さえきれない。
 本当はもっと続けたい所だったが、本気でヘソを曲げられても困るので、にっこり笑って話をまとめた。
「いやいや、だから、恋というのは不思議だねっていう話」
「オレの知ったことか! だいたいおまえ、仮にもオレが好きだというなら、もっとそれ相応の態度があるだろうがっ」
「だって相応の態度をとったって、どうせ怒るだろう。 優しくしようが甘やかそうが、どう扱ったって怒られるんだったら、揶揄って意地悪している方が少しは私も溜飲が下がるし」
「やっぱりワザと言ってるのではないかっ。 というか、なんだその理屈はッ」
「まあまあ、好きな子はつい苛めたくなってしまうものなのだよ」
 まったく悪びれもせずにそんなことをしゃあしゃあと言ってのける東雲。ここまで開き直られてしまったら、もはや蕾が何を言おうと勝ち目はない。

 怒りのやり場がなくなってしまった蕾は、若干の諦めとともに、ヤケになって尋ねた。
「で、結局おまえは、オレにどうして欲しいのだ」
「へ?……どうって…」
 その言葉に、東雲は虚を突かれたように少し目を見開いた。

 どうして欲しいかなんて、あまり考えたことがなかった。
 傍にいたいとか、触れたいとか、抱き締めたいとか、自分がしたいと思うことはそれなりに色々とあるが、蕾になにかして欲しいと思うことなどあるだろうか。というか、蕾が東雲になにかしてくれるなどとはあまり期待していないので、改めて聞かれると困ってしまう。
 じっくりと考えれば何かあるかもしれないが、とりあえず今すぐには思い浮かばない。
 だが、もちろん恋をしたからには、想いを返して欲しい、自分を好きになって欲しいという気持ちはある。言ったところでどうにかなるものでもないから言うつもりはなかったが、もし、東雲がそんなことを言い出したら、蕾はどうするのだろうか。ちょっと興味が湧いて、一瞬、口を開きかけたが、やはりそれは口に出して言うべきことではないと思い直して言葉を飲み込んだ。
「……いや…まあ、君は別に何もしなくていいんだ。 ただ、私の気持ちを知っておいてもらいたかっただけだから」
 せっかくお願いを聞いてもらえるチャンスだったのにちょっと勿体なかったかな、と思いながらも、結局、東雲は苦笑とともにそう返した。

 しかし、それを聞いた蕾は、どこか納得のいかないような、何か言いたそうな、なんとも言えない微妙な表情をしている。
 東雲は目聡くそれに気付いて、おや、と思った。もしかして、蕾は何か違う答えを期待していたのだろうか。もっと何かを要求してくるとでも思っていたのか? ひょっとすると先程蕾が言っていた、出立前に東雲が「殴りたい」と言った時と同じような状況なのかもしれない。ならば、今からでも冗談めかして「好きになって欲しい」とでも言ってみようか。
 東雲が口を開こうとした時、何事か考えていた蕾は腑に落ちないような顔で、
「………だったら前から知っとるわ」
と、ぽつりと言った。

 東雲は自分の思いに没頭していたため、それが自分の言葉への返事だったと気付くのに少し時間がかかった。出鼻を挫かれる形になってしまったが、やはり言わぬが花ということもある。これでよかったのだと思うことにした。
「いやあ、それを言われると返す言葉がないなあ。 まあ、では今後もこれまで通りよろしくということで」
 気を取り直して、東雲はにこやかに右手を差し出した。
「なんだ、この手は」
「よろしくの握手」
 蕾は疑わしそうに東雲の手と顔を見比べていたが、やがてフンと鼻を鳴らした。
「わざわざ改まってなにかと思えば。 だいたい、そんなことを言うためにどれだけくどくどと回り道すれば気が済むのだ。 ……まあいい、今日は特別だからな」
 渋々といった様子で蕾も右手を重ね、東雲の手を握り返す。

 トクン。

 手を握った瞬間、蕾は奇妙な既視感を覚えた。
 昔、東雲から無理矢理に恋情を体感させられた時と同じような、不思議な感覚。
 くすぐったいような、ふわふわとした昂揚感。と同時に、甘いような切ないような、なんとも言いがたい覚束ない感情。

 東雲が、また性懲りもなく東皇使の能力を使って何かしているのかと思って顔を見上げたのだが、東雲はいつもの暖かく包み込むような微笑みで蕾を見ているだけだ。

 その瞳をまっすぐに見返し、また一つ、蕾の鼓動が高鳴る。
 不意に理解できないほどの強い情動が湧き上がってきた。
 もっと触れたい、もっと感じたい――

「!?」

 自分自身でも、全くあずかり知らぬ感情の発露に驚いた蕾は、振り払うように東雲の手を離してしまった。
 狼狽えて東雲を見たのだが、東雲も蕾の様子に少し驚いているようだった。

「蕾? どうかした?」
「……おまえ今、なにかしたか?」
「? 何かって?」
 東雲が本気で不思議そうな顔をしている所を見ると、特に何もしていないようだ。
「……いや、何でもない」
 あの、奇妙な昂揚感と不可解な情動はなんだったのだ。温もりが残る右手をジッと見てみるが、勿論そこにはなんの痕跡もない。
 自分自身のことなのに、きちんと状況を把握できないのがもどかしい。
 頭と身体と心とがバラバラに動いていて、うまくかみ合っていないような感じで何とも据わりが悪い。
 ダメだ。
 短時間にいろいろなことがありすぎて、頭が混乱しているに違いない。もしかすると、東雲の不意の帰還という衝撃がまだ尾を引いているのかもしれない。
 どちらにしろ、今日はこの辺で切り上げた方がいいだろう。まだいろいろ話そうと思っていたこともあるのだが、これ以上、東雲と一緒にいたら、自分がさらに分からなくなりそうだ。

 蕾は何も言わずに、窓へと近づいた。後ろから東雲の声が追いかけてくる。
「帰るのかい?」
「ああ、だいぶ遅くなったしな。 おまえだって、帰ったばかりで疲れているだろう」
 目だけでちらりと振り返り、未練を感じさせない素っ気ない声で答える。
「いや、今日はそれこそ帰ってきただけだから、そんなに疲れてはいないよ。 ちょっと脱線してしまったけど、私がいない間のこととか、まだまだいろいろと聞きたいのに」
「そんなの、そのうちいくらでも話す機会があるだろうが」
「でも、明日からは帰還の挨拶だの儀式だの宴だので忙しくなるから、またしばらくは君とゆっくり会うヒマはないと思うし」
 いつも蕾が去るに任せることの多い東雲が、今日は珍しく粘ってくる。蕾とてここまで言われたら、普段なら文句を垂れながらもつきあってやるのだが、いかんせん今日はもう無理だ。
「……別に今まで何年も会えなかったのに比べれば、たいしたことなかろう。 我慢しろ」

 東雲としては、今日くらいは多少の我が儘を聞いてくれるかもと思っていたのだが、やはりそううまくはいかないようだ。微苦笑を浮かべて諦めた。
「わかったよ。 では、また今度」
「じゃあな」

 そして、いつものように窓から帰っていく蕾を見送ってから、東雲も寝所へ向かった。





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お待たせしました、やっとこ一段落。でも、まだ続きます……



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