還春郷 <3>





 一瞬の沈黙の後、蕾が呆れたような声を発した。
「……はぁ? おまえ、なにを突然」

「だから、早く修業を終えようと頑張れた一番のモチベーションだよ。 修業から戻って君に会ったら、きちんと伝えようと思っていたんだ」

 そしてまた、今度は少し長めの沈黙が落ちる。
 しばし無言で見つめ合っていた二人だったが、その静寂を破ったのはやはり蕾だった。

「…………驚いたな」

 言葉とは裏腹に随分と落ち着いているその声を聞いて、固唾を呑んで蕾の反応を待っていた東雲もホッと緊張を解いた。
「そうかね。 でも、これが今の正直な気持ちだよ。 昔、君に言った『初恋だった君の幻がずっと忘れられないから恋ができない』というのは勘違いだった」
「いや、それはオレもなんとなくわかっていたが」
「えぇっ!?」
「そうではなくて、おまえが今まで本気でそう考えていたとは思わんかった。 あえてハッキリ言わないことにしているのだとばかり」
「ちょ…ちょっと待ってくれ、蕾。 君、気付いていたのかい?」
「気付いていたというか……いや、ただ、おまえがあのとき何故オレに突然あんな話をしたのかと考えて、あと、おまえの今までの態度なんかをよくよく考えてみたらだな、まあ、だいたいの想像はつくだろう」
 そして蕾は、もういいだろうと言わんばかりにドカッと椅子に腰を下ろして片膝を抱えた。

 なんということだろう。
 八年前、円時山へ入る直前に、密かに蕾を想っているのが透たちにバレバレだったと知った時もショックだったが、今回はさらにそれを上回る衝撃だ。

「……でも、あのときは、私は本当に心からそう思っていたのだよ」
 呆然としながらもなんとか呟いた東雲だったが、それに対する蕾の言葉にさらに打ちのめされる事となった。
「そのようだな。 オレとしては、今の今まで、おまえが嫌がらせ半分でわざわざ大昔の女装のことを持ち出していたのだと思っとったがな」
 忘れられない初恋の思い出を語ったはずなのに、蕾にとっては嫌がらせに過ぎなかったとは。しかし、これは東雲の長年の行いの賜でもあるのだろうから、自業自得と言えなくもない。

 色々な意味で衝撃的な事実が多すぎる。
 何よりも、まさか蕾本人が、東雲自身でさえきちんと自覚していなかった東雲の本当の想いに感づいていようとは想像だにしていなかった。
 初恋の告白をした時は、あんなにも動揺してパニックになっていたのに。照れ屋でオクテで色事に疎いハズの幼馴染みは、いつの間にそんな事を考えるようになっていたのか。
 円時山での厳しい修業のかたわら、何年もかかってようやくこの結論に達した自分はなんだったのだろう。またしても自分の未熟さをありありと思い知らされ、頭が真っ白になってしまう。

 東雲が思考停止に陥っているのに気付いて、蕾は遅まきながらフォローを試みた。
「まあ、あれだ。 いろいろ誤解が解けてよかったではないか」

 よかった、のだろうか。
 確かに結果的には同じ結論だったのだし、東雲が先に言おうが、蕾が先に察してようが、問題はないのかもしれない。しかし、意を決して告白した東雲としては盛大に肩透かしをくらった気分だ。
 最高潮に盛り上がっていた気持ちが一気にしぼんで、どっと疲れが出た東雲は、なんとか落ち着こうと――――若干の現実逃避もかねて――ことさらゆっくりと茶の支度をして、蕾と自分の前に置いた。

 そして、自分も座って茶を一服するとようやく心の整理がついたのか、諦めたように語り出した。
「……あの頃はずっと、どうして君が気になるのか、君に惹かれてしまうのかがどうにも不可解で、なんとか納得できる理由を探そうとしていた。  だって、そんなこと東皇使としてあり得ないと思っていたからね。 それで結局、君の中に初恋の人の面影を見ているせいだと、無意識に信じ込むことにしていたんだろう。
 だけど、会えない間に思い出すのはいつも、初祓いの時の皇女姿ではなくて、下界で再会してから共に過ごしてきた君自身の姿ばかりだった。 それで、素直になってきちんと自分の心と向き合ってみたら、なんのことはない、過去の初恋とは全く別物の、現在進行形の恋をしているんだっていう、ごく単純な事にようやく気がついたんだ」
 次第に口調が熱を帯びてくる東雲とは対照的に、蕾は額を押さえて呆れ顔だ。
「……おまえ、円時山まで行って、いったい何の修業をしてたんだ……」

 蕾としては今回の東雲の告白は既定事項というか想定の範囲内だったので、話題が話題だというのに、自分でも意外なほど落ち着いていられる。
 東雲に初恋を告白をされて狼狽しまくりだったあの時と比べてみると、かなりの進歩と言えるだろう。

 東雲も語っているうちに、いつもの調子が戻ってきたようだ。
「一応、私の名誉のために言っておくけど、修業中は悠長に君のことを考えてるヒマなんて全くなかったよ。 それはもう、一瞬たりとも気を抜けないような凄まじく厳しい修業だったんだから。 …だけど、一日が終わって寝る前に夜空を見上げた時とか、朝起きて風が運ぶ微かな花の香りを感じた時とか、そういうちょっとした時に、無意識に君のことが思い浮かんでしまうのだよね。 君はどう? 私が居ない間、そういうことはなかったかい?」

 東雲の言っていることが、あまりにも自分と似たような状態だったのに蕾は驚く。
 その状態が蕾に恋をしているということになるのなら、蕾も東雲に恋をしているということなってしまうのだろうか。一応、元々の意識が違うのだから一概には言えないとは思うが…。
 しかし、どちらにせよ、鬱陶しいほど頻繁に思い出していたなどと言ったら東雲が調子づくに決まっているから、そんなことは口が裂けても言うまい。
「……なかった」
「そんなにハッキリ言わなくても」
 あまりにも素っ気ない答えに苦笑した時、東雲はもう一つ心にひっかかっていたことを思い出した。

「……そういえばさっき君、私がハッキリ言わないと思っていたとかなんとか言ってたけど、あれはどういうことかね?」
「あ? ああ、最後にここで飲んだ時に、おまえが何か言うのではないかと思っとったからな」
 蕾は茶を飲みながら、面倒臭そうに答える。
「え…何かって、私が君に恋してるっていうこと?」
 あえて言葉を濁した所をわざわざ確認してくる東雲に、蕾はウッと言葉に詰まった。
 改まって告白されるよりも、こうしてなんでもない会話の中でサラッと言われた方が何倍も恥ずかしく感じるのは何故だろう。だが、東皇使である東雲にはそういった類の羞恥心はないのだろうから、蕾の顔が告白された時より格段に赤くなっている理由など、きっと一生理解できまい。
 蕾は諦めて、しぶしぶ話を再開した。
「まあ……そういう感じのことだ。 だが結局、おまえの口から出たのは『殴りたい』だったし、これはもう言う気がなくて、このままが良いのだろうと」

 なんとまあ。蕾がそんなことを考えていたとは。
 しかし、そうだとするとまた新たな疑問が生まれる。
「……では、ではもしも……あのときに私が告白していたとしたら、君はどうするつもりだったんだい?」
「別にどうもせん。 というか、オレは一応それを念頭において話をしてやっていたのに、おまえは全く気付いてなかったのか」
「……」
 全然、気付かなかった。
 ここまでくると、東皇使としての自信がかなりグラついてくる。
 恋愛を司る者として数多の恋の形を知り尽くし、恋に伴う様々な心の動きも手に取るように分かっていたハズなのだが、いざ自分自身が恋をしてみるとこんなにも勝手が違うものなのだろうか。
 それとも、相手が蕾だからなのか。

「それはあの、関係が変わらない、って言ってたこと?」
「さあな……もう忘れた」
 ぷい、と顔を背けられてしまったが、これはたぶん当たっているのだろう。
 なるほど。あのとき、なぜ蕾が唐突に「この先ずっと関係は変わらない。近づきも遠ざかりもしない」などと言い出したのか不思議だったし、それがいい意味なのか悪い意味なのかイマイチよく分からず、あの後しばらく悩んだものだったが、東雲が告白をしたとしても今まで通り変わらないでいてくれるという意味合いだったというのなら筋は通る。

「はぁ……君も案外と、いろいろ考えていたものだねえ」
「なんだその言いぐさは。 まるで、オレがいつも何も考えていないかのようではないか」
 全体的にぐったりしているくせに嫌味ったらしい口調だけは健在な東雲に、蕾はブツブツと文句を垂れた。
「だって、実際そうじゃないか。 いや、でも今日はちょっと見解を改めたよ」
「ふん…オレが何も考えてないというなら、おまえはごちゃごちゃと考えすぎなんだ。 透なんかとっくに……そうだ、そういえば東雲ッ!」
「えっ!? はい、何?」
 いきなり何を思い出したのか、蕾はすごい剣幕で机を叩いて立ち上がった。
「あの後、オレはしばらくものすごく大変だったんだからな!」
「あの後?」
「おまえの想い人がオレだという話が皆にバレた後だ」
「ああ…誰かに何か言われたのかね」
「何かどころではない。 透や来尾に、あんな……あんな……」

 どうやら、相当に屈辱的な目にあったようだ。



   



 東雲が出立して、少し経った頃。

「蕾、おまえ、知ってたんだって!?」

 萌葱がその後も何度か下界にきて透や夕姫にいろいろと聞いたせいで、蕾が知っていたことまで透にバレてしまった。イヤそうな顔で睨んで話したくない事をアピールしてみるが、透にはそんなの通用しない。今日は夕姫も来てないので、透の気を逸らすこともできない。

「萌葱ちゃんが言ってたぞ。『花将さまも、叔父さまの想いはご存じのようでした』『花将さまも叔父さまが好きで何よりもお互いが大切だとおっしゃっていましたが、叔父さまと花将さまの「好き」は同じ種類ということでなのでしょうか』って。 いやー、おまえがそんなこと言ってたとはビックリだぜ。 まあ一応、最後の所は違うんじゃねえのって言っといたけど、来尾が無責任に肯定しちゃってたなあ」

 頭が痛い。
 だいたい、蕾が東雲を好きだの大切だのというのは、薫が勝手に言ったことだ。とはいえ蕾も特に否定はしなかったので、言ったも同然と言われてしまえばそれまでだが。

「なあ、そんでホントのトコどうなんだよ、おまえも知ってたのか?」
「……本人にそんなようなことを言われた」
「マジで!? はぁ〜…、すげーな、やっぱさすがは東皇使ってトコかねー…あいつずっと隠してるつもりみたいだったし、おまえに直接なんて絶対言わないと思ってたんだけどな〜」
「おまえが何故そんなことまで知っているのだ」
「んなの、見てりゃすぐ分かるっつーの。 で、で? なんて答えたんだよ」
 透が期待と好奇心に目を輝かせているのを見て、蕾は極力感情を出さないよう簡潔に答えた。
「別に何も」
「なんでっ」
「特に返答を求められなかったし、その時は別の話の流れというか、若干趣旨が違っていたからな。 それに、言われた時はよく分からなくて、あとから考えてなんとなくそうではないかと思っただけだ」
「なんだよそれ、東雲、かわいそうじゃねーか。 だって、おまえだって結構あいつのこと好きなんだろ?」
「そういう意味でではない」

 昔はことあるごとに「あんなやつ大ッキライだ」と公言して憚らなかった蕾が、他意はないにしても好きだということ自体は否定しなくなったのはすごい進歩だと、透は密かに感嘆する。
 これも東皇使の手管の一つなのだろうか。それとも、東雲の不在の影響で、蕾の意識に何らかの変化が起きているのだろうか。

「いーじゃねーか、ちっとは優しくしてやりゃいーのに。 オレにはふざけて好きとか言ってくるクセによ〜」
「あいつにそんなことを言ったらシャレにならんだろう」
「そりゃまー、そーかもしんねーけど……百年も会えなくなっちゃって、きっとすげー寂しがってっぞ」
「どちらにしろ、今さらそんなことを言っても仕方なかろう。 なぜ透がそんなにムキになるのだ」
 いい加減ウンザリしてきた蕾が投げやりに言うと、透は突拍子もないことを言い出した。

「だって、おまえがどっかの女を好きになるより、東雲とくっつく方が現実的じゃね?」
「どっ…どこが現実的だっ! だいたいあいつは男だ!」
 目を剥いて反論する蕾に、透は本気とも冗談ともつかない口調で説明する。
「いや、だからさー、俺はおまえが心配なのよ。 またそのうち、嫁貰えとか、跡継ぎ作れとかって言われんだろ? 今までだったら、おまえのためになんないよーなことなら東雲がなんだかんだで阻止するだろうってのがあったけど、これからはそうもいかねーじゃん。
 で、万が一、おまえが抵抗を諦めて義理とか義務とかで好きでもない女と結婚したり子作りするぐらいなら、東雲の方がよっぽどおまえのことよく分かってるし、おまえも幸せなんじゃねーかなーって思うようになったってワケ。 それに、百年後まで東雲を待っててやることにすれば、当分は俺といられるし、いいことずくめじゃん」
 蕾が激怒するかと思って最後の方は茶化すように軽く言ってみたが、予想に反して、蕾は神妙な顔つきだ。
「……別に待っていたってあいつと結婚できるわけでもなかろうが」

 これには透が驚いた。
「! えっ、ってことは、なに、やっぱりおまえ、東雲と結婚したいのかっ?」
「なッなんでそうなるっ! やっぱりとはどういうことだっ!」
「あ、なんだ違うのか。 いや、今の言い方がなんかさー……ははは」

「結婚できるんならしたいような口ぶりだったよな〜」
「!?」
 思わぬ所から、よく知った声がした。二人同時に振り向くと、木の後ろから「よっ」と挨拶しながらお気楽そうに来尾が出てくる。
「おー、来尾じゃん、おめー、また来たのかよ。 やっぱり真面目に働くのヤになったんか?」
「そんなわけねーだろ。 頑張っていつか薫さまに褒めてもらうんだからよ。 今日は久しぶりに抜け出してきたんじゃねーか。 で、花将、薫さまは?」
 さっきの発言について来尾に詰め寄ろうとしていた蕾だったが、あまりにもあっけらかんとした態度に機先をそがれてしまった。
「…来てない」
「はあ……な〜んだ、おまえが来てっから、今日こそはと思ったのに。 最近ちっとも会えないんだよな〜。 まいっか、寂しい者同士、三人で仲良くやろうぜ」
「俺は仕事中だっての」
「オレは別に寂しくないがな」
「またまた〜。 おまえ、東皇使がいなくなってからあからさまに元気ねーじゃん。 素直じゃないんだからよ、まったく」
 来尾が分かってるというようにポンポンと蕾の頭を叩く。
 ここでムキになって言い返したら負けのような気がするのだが、なぜ東雲のせいで自分がこんな目にあわなければならないのかと考えていたら、フツフツと怒りがこみ上げてきた。
 そんな蕾の様子を知ってか知らずか、透と来尾は勝手に盛り上がっている。

「だよなぁ。 やっぱ来尾もそう思ってたか」
「そりゃー、俺だってちらっと物足りなく思っちまうくらいなんだから、あんだけベッタリだったヤツが急に百年もいなくなったら、めちゃくちゃ寂しいわなー、うん」
「ぶはっ、ベッタリってそれ言い過ぎだろ〜」
「だってまさにそーじゃねーか。 んじゃドップリくらいにしとくか」
「わはは、なんじゃそりゃ、意味わかんねーっつーの」

 一応、彼らとしても、蕾の気を紛らわそうというか、少しでも元気が出ればという気持ちが多少なりともあったのだが、そんな気遣いが蕾に微塵も伝わらなかったのは言うまでもない。
 とうとう我慢の限界に達した蕾は、雑魚怪魔なら一発で消滅してしまうような凄まじい怒気を孕んだ声で一喝した。

「黙れっ! 何なのだ、キサマらはさっきから! オレと東雲がなんだというのだッ!」

 だが、蕾の奮闘むなしく結局その後もしばらくは、透と来尾に、東雲の話題でさんざん絡まれることになったのだ。



   





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なかなか区切りがつかなくて、変な所で続いてしまいました…スミマセン;



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