天水夜 後編




「まったくアイツは…」
 東雲のいなくなった部屋でブツブツと文句を言っていた蕾だったが、空になった缶を弄んでいるうちに、先ほど感じた疑問が再び浮上してきた。

 東雲の好きな相手は、どうして東雲ではダメなのだろう。
 東皇使であることを差し引いても、東雲は身分も頭脳も性格も、すべてが結婚相手として申し分ないハズだ。普段はいちいち口うるさいが、最終的には蕾の意思を最大限に尊重し、その中で最善の方法でサポートしてくれる。心配性で過保護な態度も蕾はともかく女だったら嬉しいだろうし、何よりあんなにも自分のことを考えてくれるというのは心地良いと思う。いつもそれとなく見守ってくれていて、いざという時には頼りになる、まさに理想の相手ではないのだろうか。
 もし、東雲の想い人が誰だか分かれば蕾が橋渡しをしてやってもいいくらいだ。東雲がどんなに相手を大切にするか、東雲に愛されるのがどんなに幸せなことか伝えてやりたい。
 と、そこまで考えて、蕾は自分の勘違いに気付いた。
 違う。
 赤面しながら慌てて頭を振る。
 今、考えていたのは蕾といる時の東雲だ。これではまるで蕾が、東雲に愛されているが自分だと思っているようではないか。
 いやしかし、ただの幼馴染みにさえこれだけのことができるのだから、恋人になれば推して知るべしとも言えるのかもしれない。だが、もしかすると東雲は、他の誰にも蕾に接する時のようにはしないのではないだろうか。あの態度は蕾だけに向けらるものなのかもしれないと、おぼろげながら確信できてしまう。
 だからあいつは馬鹿なのだ。
 蕾なんかにではなく、好きな相手にそうしてやれば簡単に恋が上手くいくだろうに。だが、そう思う反面、それを想像するとどことなく違和感があるのも否めない。違和感というか正直なんだかイヤなのだが、そう思う自分の心が理解不能だ。
 確かに東雲の言う通り、蕾はまだ東雲に結婚して欲しくないだけかもしれないが、寂しいというのは違う気がするし、かといって確たる理由も思いつかない。
 結局、どの疑問にも明確な答えは出そうにないので、よくわからないことはすべて酔いのせいだと思うことにした。

 だが…と、朦朧としてきた蕾の思考はいよいよ脈絡がなくなってくる。
 やっぱり東雲には幸せになって欲しい。
 第九皇子のことがあるから、たぶん東雲も心の底には常に罪悪感だとか引け目のようなものを抱えているのだろうが、だからこそ、東雲は誰よりも幸せになるべきだと蕾は強く思う。それは願いと呼べるものかもしれない。
 しかし一番の問題は、肝心な東雲の幸せがなんだかよくわからないことだ。東雲が好きな相手と一緒になってしまえばそれでいいのだとは思うが、先程の話ではそれもどうやら難しいらしい。だったら、その時がくるまでは、東雲のことを一番分かっている自分が身近にいて見ていてやるのがいいだろうと、最近、そんな風に思うことが多くなった。
 そこまで考えたとき、もしかすると東雲も蕾に対して同じように思っているのではないかと、今さらながらに思い当たった。もしそうならば、互いに相手のことを気にして当分は結婚などできないではないかと、なんだか可笑しくなってしまった。それはそれで、ある意味、気楽でいいかもしれない。
 そして、その結論に満足した蕾はクスクスと笑いながら、徐々に思考を浸食してきた睡魔に身を委ねることにした。







「いくらたくさんあるといっても、これでもう最後に……」
 数本のビールを持って部屋に戻ってきた東雲は、途中で言葉を切った。東雲にビールを取りに行かせた張本人は、ベッドの端に頭をもたれさせてクークーと気持ちよさそうな寝息をたてている。

 おやおや、せっかく久しぶりに一緒に飲もうと思ったのに、と東雲は苦笑する。
 仕方なく蕾の隣に座って、一人、缶を開けた。
 ビールはほとんど飲んだことはなかったが、喉を流れる冷たさと炭酸の軽い刺激が心地良い。天界の酒にはないこの爽快感が、蕾のビール好きな理由だろうか。
 たっぷりと喉を潤して一息ついた東雲は、隣でスヤスヤと眠る蕾の寝顔をじっくりと見てみる。彼が起きている時はなかなかこんな間近で眺めることなどできない。普段強い光を放っている瞳が閉じられただけで、こんなにも印象が違うとは。無垢な少女のように、いとけなく可憐な花。なんもあどけなくて、触れたら壊れてしまいそうだ。
 そういえばあの光明界の王子にも、思いきり姫と間違われていた。あの時は東雲も動転して思わず神樹の杖で聖仙を殴るという暴挙に出てしまったが、蕾もけっこう狼狽えていてすぐに反応できないようだったのが、今思えばなんとも可愛らしかった。
 久々にあんな場面を見たなと、東雲は蕾との初対面を思い出し懐かしさに一人笑みを深くする。

 と、そのとき。
 東雲が笑う気配に気付いたのか、前触れもなく蕾の目が開いた。
 しばし自分の状況が分からないように目の前にある東雲の顔をぼんやりと見ていたが、やがて一言「ビール」と言って、夢遊病者のように東雲の持っている缶に手を伸ばしてきた。
 完全に目が据わっている。
「ちょっ、蕾、もうやめておきなさい。 飲み過ぎだよ」
「うるさい、いいから寄越せ」
「うわっ」
 東雲は缶を持つ右手を上にあげて蕾に奪われないようガードするのだが、蕾が身体ごと東雲にのし掛かってきたので、半分押し倒されたような体勢になってしまう。
 それでもなんとか蕾の手をかわしたり押しとどめたりと不毛な攻防を続けていたのだが、不意に蕾の身体から力が抜けたと思ったら、東雲の胸にドサッと崩れ落ちてきた。
「つ、蕾?」
「………」
 具合でも悪くなったのかと焦る東雲の耳に聞こえてきたのは、先ほど同様の安らかな寝息。さすがの蕾も今日は睡魔に勝てなかったようだ。
 東雲が少しずつ身体を起こしていくと、力の抜けきった蕾の身体がずるずると滑り落ちていく。やがて、頭が東雲の腿のあたりまできたところで、蕾が仰向けに寝返りを打った。
「………」
 東雲は、自分の腿の上にある蕾の寝顔を呆然と見下ろす。
 この体勢は、いわゆる膝枕、というやつだ。
 素直に喜ぶべきかどうしようかと微妙に悩みながら、やがて東雲はゆっくりと息を吐いた。
 幸福と諦観の入り交じった複雑な感情が交錯する。

 いずれ下界での留学を終えて天界に戻ったらこんな風に蕾と過ごすことなどできないだろうし、緑修天司になるための修業が本格化したら会うことすらままならなくなるだろう。
 想いを遂げようなどと、大それた事を望んでいるわけではない。
 ただ、たまに会ってたわいもないことを話すだけでいい。
 もうしばらく、この心地良い距離を楽しんでいたい。
 何気ない日々の中で、ゆっくりと少しずつ絆を深めていけたなら――
 東雲は、祈るようにそっと蕾の手に自分の手を重ねた。

 と、東雲の心の声が聞こえたわけでもないだろうが、重ねた東雲の左手を蕾がギュッと握ってきた。驚いた東雲が蕾の顔をのぞき込むと、蕾がムニャムニャと何かを呟いている。
「…………ぶ…」
「え?」
 無駄だとは思いつつも東雲が聞き返すと、意外と明瞭な声が返ってきた。
「……まえは………だ…じょ…ぶ…………」
 『おまえは大丈夫』?
 一体、何を突然言い出したのだろう。
「何が大丈夫なんだい?」
 東雲は辛抱強く待っていたが、蕾の返答はない。完全に眠ってしまったかと東雲が諦めかけた頃、ようやく寝息に混じって微かな声が聞こえた。
「……オレがいるから………だいじょ……だ…」
「!!」
 ものすごく嬉しいことを聞いた気がする。
 さらに何かあるかもしれぬと、東雲は息を殺し全身を耳にして続きを待ったが、いくら待ってもそれ以上の寝言は聞こえてこなかった。
 もはや蕾は完全に夢の国。多少揺すったくらいでは起きそうにないし、明日起きたら自分が何を言ったかなど全く覚えていないだろう。

 東雲の空耳でなければ、たぶん「おまえは、オレがいるから大丈夫だ」と言ったと思う。
 思わず舞い上がりそうになるが、しかし、そんな上手い話があるわけがない。蕾がなぜそんなことを言ったのか、落ち着いて、ちゃんと考えてみなくては。
 まず、前提として東雲の想い人云々の話があることは、おそらく間違いないと思う。
 恋が叶わないだろうと言った東雲を気にしての発言だとしたら、東雲が想う相手にフラれても蕾がいてくれる、という意味合いだろう。
 そこで気になるのは、「いる」とはどういうことか、そして、なにが「大丈夫」なのか。
 もちろん特に深い意味はなく単なる慰め、たとえば、好きな人とは別れることになっても蕾は友人でいてくれる、というような言葉通りの単純な意味かもしれない。というかその可能性が一番高い。
 だが、そんなことを蕾がわざわざ言うだろうか。まあ、相手は寝言だから理屈は通じないかもしれないが、東雲の希望的観測からすると、寝言だからこそ普通は絶対言えないようなことなのではという気がする。そう考えると、もう少し深い意味があるのではないかと思いたくなる。
 しかしまさか、「オレ『という想い人』がいるから大丈夫」ではないと思うし(そもそも蕾は東雲の想いには気付いてすらいない)、「オレが『おまえを好きで』いるから大丈夫」だと思えるほど東雲は脳天気な楽天家でもない。
 だったら、少しばかりの期待を込めて「オレが『ずっと一緒に』いるから大丈夫」くらいはどうだろうか。それくらいならアリかもしれない。勿論、それだって東雲にとっては相当に嬉しいことには違いない。
 とはいえ、いずれにせよ何が正解かを確認する術がないのだから、どんなに想像をたくましくしても所詮はただの妄想にすぎないのだが……。

 考え疲れた東雲は、残っていたビールを一気に飲み干すと、本日何度目かの大きな溜め息をついた。
 そのまましばらく、自分の膝の上にある幸せそうな蕾の寝顔を見ていたのだが、やがてその顔には、降参したような、そして降参することが嬉しいような、そんななんともいえない笑みが広がっていった。

 まったくなんという夜だろう。
 光明界に拉致され、曄のために決闘させられそうになったことが、遥か昔のことに思えてくる。
 だが、終わりよければすべて良し。
 結果的に、今日はなんだかとても良い日だった。

 いつの間にか雨はすっかり上がったようで、外は静かになっている。
 きっとまた、明日は朝から暑くなるのだろう。
 その朝を蕾と一緒に迎えられる。
 それで充分ではないか。
 こんな幸運は、そうそうあるものではないのだから。

 自分の膝で安心して眠る蕾は、いまだしっかりと東雲の左手を握ったままだ。
 東雲は今度こそ心からの微笑みを浮かべ、空いたもう片方の手で、さらさらと流れる蕾の髪を優しく何度も梳いてやった。
 言葉では伝えきれない想いを込めて。



 君も、私がいるから大丈夫だよ――






     ☆END☆



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無性に東雲の膝枕を書きたくなって、この話自体そのために書いたと言っても過言ではないカンジですw
蕾の独白がなんだか妙に素直というか甘いのは、酔いのせいか暑さのせいか…って暑いのは私がですが^^;
しかもこれ、原作だと夏ではなくてたぶん春頃のお話なんですかね〜東雲の制服が冬服だし蕾も長袖だし…まあ、なんかいろいろ大目に見て下さいm(_ _)m



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