しばらくして、ふと、蕾が口を開いた。
「なんで鈴蘭がオレなのだ?」
「はい?」
「おまえ、昔、鈴蘭がオレに似ているとか言ってなかったか」
まさか、蕾が覚えているとは思わなかった。
「覚えていたのかい」
「いや、今、急に思い出した」
「ふふ…懐かしいね。 でも、君だって、鈴蘭が私に似てると言っていたよね。 それはあれ? 謙虚で清らかな所とか?……ウッ」
東雲の脇腹に、蕾の肘鉄が思いっきりヒットした。
「あの頃は花言葉なんぞ知らんかったろうが」
蕾は、当時の記憶をたどってみる。
東雲が東皇使になって、これまで馴染みのなかった気配を纏うようになったことに戸惑っていた。
今は意識して抑えるようにしているが、始めの頃は春気を無防備に振りまいているような状態で、東雲はまだ子供だったというのに、その姿を見かけた仙女が幾人もはかむように頬を染めていたものだ。曄などはその筆頭であるし、蕾も春の恩恵を受ける花仙であるので、心が妙にざわつくというか言いようのない気持ちを持て余していたのだ。
どうせ忙しいだろうからともっともらしい理由をつけて、会うのを極力避けるようにしていたが、春が過ぎて久々に会ってみたら思っていたより普通だったので安心した。その安堵というか反動で、鈴蘭を見た時につい「似ている」などと口走ってしまったのだろう。
緑の葉に小さな白い花という地味な見た目に似合わず、やけに甘く香る鈴蘭が、緑仙のくせに妙に甘ったるいオーラを放つ東皇使を彷彿とさせたのだ。
しかし今更、東雲にそんなことを言ってやる義理はない。
「もう忘れた。 そんなことはどうでもいいから、オレの質問に答えろ。 花言葉というのはナシだぞ」
念を押してくる蕾がおかしくて、東雲の顔がついつい綻んでしまう。
「そうは言っても、ずいぶん昔の話だしねぇ。 うーん……見た目はとても可憐なのに、ほかを圧倒するような強い香りを持っている所とか?」
「ふん…たいした根拠ではないな」
「まあ、無邪気な子供の言うことだしね」
「おまえが言うな」
口の減らない東雲に、呆れたように蕾が返す。
再びの沈黙。
暗闇で視界が利かない分、他の感覚に意識が集中する。背中から伝わる確かなぬくもりを感じながら、蕾は独り言のように呟いた。
「君影草…か」
君影草。
いにしえの人が、葉の影に隠れるように咲く花の様子を奥ゆかしく恥じらう女性に喩えたと言われる、鈴蘭の別名だ。
考えてみると、姿や花言葉よりも、この言葉の方が東雲のイメージだ。元々の意味とは違うのだが、字の持つ印象とでもいうのだろうか。
普段あまり意識することはないのに、ふと気がつくと影のように傍に居る。
余計な言葉を交わさずとも蕾の意図を把握し、蕾が動きやすいよう的確にサポートしてくれる。だから、東雲が後ろにいるときは、背後を気にせず前だけを見ていられる。
今だってそうだ。
当たり前のように北海道まで一緒に来て、ごく自然に蕾を寒さから守っている。東雲の行動があまりにも自分に都合が良いのが逆に居心地悪くて、ついつい邪険にしてしまうのだが、それすらも予定調和のごとく東雲の思う通りに事が運んでいるように感じるのは、蕾自身がそれを認めているからだろうか。
「風情のある呼び名だよね」
東雲もその字面から呼び起こされる印象を、いたく気に入っている。
蕾を影から支える存在でありたいと、なにより強く願っている東雲にとって、まるで天啓のような言葉ではないか。
小さな姿に封印された気高い花が、いかなる穢れ、あれゆる厄災からも守られるように、鈴蘭のように大きく葉を広げていよう。君が疲れ、傷ついた時に、いつでも君を癒せるように。
この花を見ると、いつも、そんな想いを新たにさせられる。
そうやって二人それぞれに異なる視点で似たような物思いに耽っていたのだが、気がつけばけっこうな時間が経っていたらしい。
いつの間にか星々は数を減らし、暗い中にも山や木々のシルエットが浮かび上がってきていた。
「もうじき、夜が明けるね」
「ああ」
モノトーンの世界が徐々に彩りを取り戻し、星の輝きが一つまた一つと薄明の中に消えていく。
やがて地平線の一点から眩いばかりの曙光が顔を出すと、世界が一気に反転したかのように、あっという間に闇が朝の空気に塗り替えられてしまった。
改めて辺りを見回すと、林の下には見渡す限りの鈴蘭の葉が茂っている。その中で、鈴蘭の花精達が一斉に目覚め始めていた。
蕾と東雲は、立ち上がってそちらへと向かう。
「やあ、鈴蘭の花精たち」
「あなた様方は…」
「私は天界の東皇使、彼は御大花将」
「まあ、そんな高貴な方々がなぜ…」
「気にするな、単なる見回りだ。 恙なく咲いているか」
「はい、今年もそろそろ盛りを迎える所です。 この辺りはあまり人間も入ってこないので、年々、株も増えております」
「そうか。 おまえ達の香りに癒される者も多いだろう。 努めて励めよ」
二人で花精達に挨拶をしながら、広大な敷地をぐるりと一回りして戻ってきた。
「いやぁ、ホントに見事だったね。 では、私は学校があるから先に戻るよ」
「ああ」
東雲が調香師に掛けておいた上着を取った時、そのポケットから何かが落ちた。
「何だ?」
蕾が拾ってやると、リボンのかけられた掌サイズの小箱である。
「ああ、そうだった」
東雲はブレザーを着ながら、それを買った時のことを思い出した。
「どなかたへの贈り物?」
女性の店員にそう聞かれて、無意識に蕾のことを考えてしまった。特に彼に贈るつもりもなかったが、とりあえず「あ…ええ…」と曖昧な笑みで答えた。
すると、彼女が勧めてきたのは春の若葉に初々しい花の香りをブレンドしたような、フレッシュな香り。東雲が制服姿なので、高校生が彼女にプレゼントするのに違和感がないよう、軽めの香りを選んでくれたのであろうか。どことなく、自分達を思わせるようなその香りが気に入ったのでそれを購入したのだが、そのままポケットに入れて今の今まで忘れていた。
ここで彼が拾ってくれたのも何かの導きかもしれない、と思うのは大げさだろうか。
蕾自身が香りを持つので香水をつける事はないだろうが、彼ら花仙にとって芳香は、邪気払いや結界の強化、また目印代わりになど、なにかと使い道はある筈だ。
「君にあげるよ、じゃあね」
その言葉に、蕾が箱から顔をあげた時には、東雲はすでに飛び立っていた。
「おいっ、何だこれは」
「ささやかなプレゼントだよ」
そう言ってあっという間に遠ざかっていく東雲を、蕾は呆気にとられて眺めていたが、戻ってくる様子もないので、仕方なく箱を開けてみた。
中から出てきたのは香水の瓶。東雲が、香水屋に行った時に買ったものだろうが…。
一吹きしてみると、どことなく東雲を思わせるような清々しい春の森や草原の香りがした。
(あいつ、わざわざ自分のイメージの香りをオレによこして、何のつもりだ)
首をかしげながらも、まあ何かの役には立つかもしれぬと、あまり深く考えずにポケットに仕舞った。
そして、一つ大きなあくびをしてから調香師の方を見ると、ちょうど彼が目を覚ました所だった。

数日後。
「蕾さま、その香りは…?」
蕾は香水の存在などきれいさっぱり忘れていたのだが、さすがに天界一の嗅覚を持つ薫。密封されている香水に気付いたようだ。最初に出した時の残り香が、どこかに付着していたのだろうか。
「あ? ああ、これか。 東雲に貰った」
蕾がポケットから出した小瓶を受け取って、薫はゆっくりとその香りを味わった。
「素敵な香りですね。 東皇使さまのイメージに、華やぎを足したような…東皇使さまが調合なさったのですか?」
「あいつにそんな芸当ができるワケなかろうが。 最近、腕の良い香水屋と関わってな」
「そうなのですか…それにしても、これは」
ちょうど東雲が蕾と一緒にいる時のようなイメージだ。なんとも微笑ましい、見ているこちらが幸せになるような、そんな印象を受ける。作ろうと思っても、なかなか作れるものではないだろう。
「欲しけりゃやるぞ。 オレが持っているより使い道も多かろう」
しかし薫は、穏やかに微笑んで小瓶を返してよこした。
「いえ、これは蕾さまがお持ちになっていた方がようございますよ。 さぞかし素晴らしい調香師なのでしょうね」
「そうだ、それを作ったヤツにおまえを会わせてやろうと思っていたんだ。 今度、北海道に連れて行ってやる」
「北海道、でございますか…?」
「ああ、良い所だ。 おまえもきっと気に入るぞ」
「それは楽しみでございますね」
かの地には、まだ鈴蘭は咲いているだろうか。
鈴蘭を贈られた者には幸福が訪れるという。
道案内と香水のお返しに、東雲に鈴蘭でも持ってってやったら、どんな顔をするだろう。
蕾がそんなことをするとは思っていないだろうから、相当に驚くであろうことは想像に難くない。ひよっとすると、めったに見られないような間抜け面を晒すかもしれない。
それを笑って眺めるのはなかなかに悪くない趣向だと、悪戯を思いついた子供のように蕾は一人笑みを深くした。
いまいちオチがないですが…まあ、挿話なので^^;。このあと、地仙香の最後のシーンに続くと思って下さい。
イギリスやフランスあたりでは5月1日の鈴蘭の日に愛する人に鈴蘭を贈るそうです。もちろん東雲はそのことを知ってるでしょうねぇ……蕾、墓穴を掘りそうな気配がプンプンと(笑)