春情禍 前編



 「チッ」
 ディスプレイに表示されたGAMEOVERの文字に舌打ちして、蕾は乱暴に席を立った。

 ゲーセンを出て昼間の繁華街を目的もなく徘徊するが、どうにもイライラして落ち着かない。
 こんな日に限って透は真面目に学校に行ってしまっているし、薫は来尾と行商中。
 酒を買うにも財布はすでにスッカラカン。ならば、資金調達を兼ねて暴れてみるかと相手を探すが、まだ昼を過ぎたばかりでチンピラやヤクザも見当たらない。
 
 「クソッ」
 目についた電柱を蹴っとばした拍子に、まだ銜えたばかりのタバコを落としてしまう。
 こういう時はなにをしても上手くいかないものだ。

 仕方なく適当な路地裏に入り、エアコンの室外機を見つけて腰掛けた。高さがちょうどよく人目につきにくい場所にあるため、室外機の上は蕾のお気に入りの寛ぎ場所である。
 
 新しいタバコをくわえて火をつけると、ようやく少しだけ落ち着いた。
 深々と紫煙を吸い込んで、ぼんやりと昨日の出来事を反芻する。







 昨日、蕾と東雲が直面したのは、弛鏡使が拉致されて早春の花々が咲けなくなるという事態だった。

 蕾は、枯れたり萎れたりした花に花気を与えて再び咲かせる事はできるが、まだ地中で眠っている花を目覚めせる事はできない。
 一方の東雲は大地全体に春をもたらすが、花の覚醒を自発的に促す意味合いが強いので、瞬間的に多くの花々を芽吹かせるようなことはできない。実際に花々を起こすのは弛鏡使の役目である。
 人間の目覚めに例えれば、東雲はその名の通り夜明けで、弛鏡使が目覚まし時計のアラームといったところだろうか。

 そんなわけで、取り急ぎ二人協力して早春の花々を咲かせることとなった。

 具体的には、まず、蕾が手にした蕗の薹に花気を送り、未だ目覚めぬ地中の花々へと気を繋ぐ。その状態で、東皇使が大地と蕾の両方に同時に春を呼び込み、昂った蕾の花気を花々へ感応させることで一気に開花させるのだ。 
 要は、蕾が東皇使と花とを結ぶ触媒、兼、増幅器のような役割を果たしたと思えばいいだろう。
 
 その後は弛鏡使を無事に取り返して仕事へ戻らせ、不届き極まりない怪魔は負礼堂へブチ込んで、東雲には亡者親子の後始末を任せ、万事解決したはずだった。
 
 問題はその後。
 
 下界へ戻ってきたあたりから、どうも身体が火照っている上、気分が何となくモヤモヤする。怪魔を連行するときに穢れにでもあたったかと思って、芙蓉門で禊をしてみても一向に変化がない。
 ただ、とりたてて不調というわけでもないので、首をかしげながらも透の家へ戻った。

 そして、夜遅くに帰ってきた透が何気なく放った一言によって、ようやく自分に何が起こっているのか悟ったのだ。
 「お? なんかお前、急に春っぽくなってねえ?」

 蕾はビールを持つ手をギクッと止めたが、努めて平静を装って訊ねる。
 「…どういうことだ?」
 「え、あれ? うーん、なんとなくそう思ったんだけど…なんだろう。 酔ってっからか? いや、違うな…しいて言えば全体の雰囲気?が、春になったなーみたいな」
 透はしげしげと蕾を見ていたが、さほどの根拠はなかったようで、蕾は秘かに安堵する。
 「昼間、東雲といたから移ったのだろう」
 「ふーん、でもいつもはそんなことないのに珍しいな」
 「……」

 さっくりと鋭い所をついてくる透に蕾が答えあぐねていると、そろそろあいつのパワーが強まる季節ってことか、と透はさっさと納得して風呂場へと行ってしまった。







 そこまで思い出して、蕾は煙と共に大きな溜め息を吐き出した。 
 
 やはり透は侮れない。蕾自身、自覚していなかった事を直感で見抜いてしまった。
 だが、あれがもし薫だったら、花気の変化でなにかを勘付かれたかもしれないから、昨夜も今朝も薫と顔を合わせなかったのは正解だ。

 これからの時期、春の宰主・東皇使は、花気を持つものにとって、その存在自体が媚薬となる。
 
 花々は言うに及ばず、人間でも年頃の娘にはほのかな花気が宿っているため、特にこの時期は東雲の気に反応しやすい。
 わけもなく浮き立つような心持ちになったり、いつもより艶っぽく華やかに、または大胆で挑発的になったりする。
 俗に恋のときめきなどとも呼ばれるそれは、意中の相手がいる場合はそちらへ向けられるのだが、いない場合は東雲への恋心となって顕われることも多い。

 そんな事は蕾とて充分すぎるほどわかっていたのだが、まさか自分が東皇使の術中にはまってしまうとは思いもよらなかった。

 おそらく、昨日全身に呼び込んだ春気が収まりきれずに、熾き火のように体内でくすぶっているのだろう。
 それが蕾自身の花気を刺激して、透が言う所の「春っぽい」――平たく言うと軽く発情したような状態になっているに違いない。
 ただ、特に東雲への恋情が芽生えたわけではなさそうなのが、不幸中の幸いだ。

 因果関係はわかったものの、根本的な解決方法がわからない。
 
 一番てっとり早いのは原因でもあり専門家である東雲に聞くことなのだろうが、こと、この件に関してはもっとも聞きたくない相手でもある。

 ただでさえ蕾は色事の話が苦手なのに、さらに今回はよりによって自分自身のことときている。
 それを、やたら過保護で嫌味な幼馴染みに相談するなど、考えただけで身悶えしたくなる。 

 煩悶して頭を抱え込んでしまった蕾は、再び彼らしからぬ大きな溜め息をついた。







 同じ頃、高陽高校の校舎裏。

「…ごめんね」
「いいんです、ただ気持ちを伝えたかっただけなので」
「ありがとう、うれしいよ。もし君がいやでなければ、これからも友達として仲良くしてくれるかな」
 優しく微笑まれ、頬を染めた女生徒が一礼して走り去って行く。

 東雲はその後ろ姿を見送っていたが、彼女が女子部の校舎に消えたと同時に、後ろから伸びてきた手に首を絞められた。
「っ!!」
「し〜の〜の〜め〜、またおめー、あんな上玉を」
「ゴホッ…な、なんだ透か。 びっくりさせないでおくれ」
「へーへー、まだ春の始めだっつーのに、相変わらずおモテになることで」
 イヤミをいいながらも、呼び出された東雲の帰りが遅いので心配になって見にきてくれたのだろう。
 そういう飾らない気遣いができるのが彼の美点だ。裏表がなく一緒にいると安心できるキャラクターは、東雲もかなり気に入っている。

「そういや、昨日、なんか大変だったんだってな」
 教室に戻りながら、そんな話になった。
「ああ、蕾に聞いたのかい? もうすっかり解決したよ」
「ふーん。 あ、それはそうと東雲。 おまえに聞かなきゃと思ってたんだけどよ。 春の間、オレがおまえとずーっと一緒に居たらさ、おまえの超モテモテオーラがオレにも移るってことはないの?」
 透の唐突な質問に、東雲は目を瞬かせる。
「……どういうことだい?」
「え? だって春の気配みたいのは移ったりすんだろ? 蕾がそんなよーなこと言ってたぞ。 あ、でも、もしかして天界モンにしか移んないのか」
 まあ一緒にいるだけでモテるようになれば苦労しねーよな〜、と心底残念そうに教室に入っていく透の後ろ姿を見ながら、東雲は透の言葉をじっくりと吟味していた。

 やがて、口の両端を微かに上げ、得心したように呟く。
「移る…ね」 







 その日の夕刻。
 
 ようやくカツアゲのターゲットを見つけた蕾は、ひと暴れして財布を調達すると一升瓶を抱えて路地裏に戻った。
 暴れたおかげで少し気が晴れたし、これで酒でも飲んで寝てしまえばこの苛立ちもだいぶ収まるだろう。

 しかし蕾の思惑は、飲み始めた途端に崩れ去った。
「やあ、探したよ、蕾。 こんな所にいたのかね」
「し…東雲っ!? なんでおまえがここに」
 いつもと変わらぬ制服姿なのに、彼が全身に纏う春気が昨日よりも濃密になっているように感じられるのは、蕾の体調のせいだろうか。
 東雲が近付いてくるだけで、意図せずに動悸が早まってしまう。

「透から聞いてもしやと思ったんだけど…」
「と、透がおまえに何か言ったのか?」
「直接、君の話をしたわけではないよ。 ただ、突然『春のオーラは移るのか』なんて聞いてくるから、何事かと思ったけどね」
 しくじった。昨夜ちゃんと口止めしておくんだったと悔やんでみても始まらない。

「……何と答えた」
「いや、答える前にその話題はすぐ終わったんだけど、ひょっとして昨日、君に『移って』しまったのかなと心配になったものだから」
 東雲は、心配とは程遠い、いっそ嫌味なくらいに晴れがましい顔でにっこり笑った。

 蕾は無駄だと思いつつも明後日の方を向いて、
「何の話だかわからん」
と突っぱねてみるが、やはり東雲には見透かされているようだ。
「まあ、私は別にいいんだけど。 君はそういう状態に慣れてないから大変じゃないかと思って」
「……問題ない。 もう収まった」
「そう? でも、まだ花気がかなり不安定みたいだね」
 言いながら、蕾の正面に回り込み至近距離で瞳を覗き込んでくる。
「ちっ、近付くな!」
 ドカッ

 真っ赤になった蕾に殴りとばされた東雲だったが、すぐに余裕の笑みをみせて立ち上がった。
「とりあえず今日のところは帰るけど、明日になっても治らないようだったら、私の部屋へおいで。 あと、その状態で飲み過ぎると悪酔いするから、お酒は程々にしておいたほうがいいよ」
「余計な世話だっ!」

 東雲の去った後に残ったのは、淡い春の兆し。
 それに煽られるようにヤケになって延々と飲み明かしてしまった蕾は、翌朝、二日酔いに痛む頭を抱えながら透の家に戻ることとなった。



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「口迎春」でのたった一コマの二人の共同作業から、はるか彼方へと妄想が広がってしまってます^^;



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