「それにしても、なんだって急に……君がそんなことを言ってくれるなんて、一体、どういう風の吹き回しだね」
ようやく復活した東雲が、最大の疑問を口にした。
蕾は途端に渋面を作る。
なんでこいつはこう、いちいち理屈っぽいんだ。理由など聞かずに素直に喜んでおけばいいものを。
仕方なく、大雑把に説明してみる。
「……この前おまえと会った時に少しばかり妙な感じになって、ずっとスッキリせんかったのだ」
「妙な感じ?」
東雲が何気なく問い返すと、蕾はウッと詰まった。問い返されるとは思っていなかったようだ。
「……うううるさい、そんなことはどうでもいい」
急に赤くなって狼狽えはじめた蕾に、東雲は首をかしげる。
要は再会した時に、蕾も何か感じる所があったということか。蕾の動揺のしかたを見ると、ひょっとして、東雲を意識するようなことでもあったのかもしれない。
そういえば、あの時、帰り際に握手をした辺りから蕾の様子が少しおかしかった。東雲も自分のことで手一杯だったからあまり気にしていなかったが、その時に蕾が言う所の“妙な感じ”になっていたのだろうか。
だが、それが恋情だとは限らない、と敢えて自分に釘を刺す。
再会の驚きで心拍数が上がった所に、懐かしさや嬉しさなんかが加わったとしたら、恋愛に似た心理状態になることもあり得る。いわゆる「吊り橋効果」と同じ原理だ。色恋沙汰には全く免疫がない蕾だから、それを恋心かもしれないと考えて戸惑ってしまうというのは充分に考えられることだ。
悲観的すぎるかもしれないが、変に期待してあとで落胆するよりは、あらかじめ期待値を低く見積もっておいた方が、立ち直りも早いし精神衛生上も安全だ。これも蕾との長い付き合いで学んだ貴重な経験則といえるだろう。
どちらにせよ、蕾自身ハッキリわかっていないのだろうし、ヘタに突っ込んでやっぱりやめたと言われては勿体ないので、東雲はあまり深くは聞かないことにした。
「まあ、いいけど。 それで、試すって……具体的にどうするつもりかね」
「オレが知るか。 おまえが言いだしたことだし、だいたいこういのはおまえの専門だろうが」
「そうは言っても、まさかこんな展開になるなんて思ってもみなかったから……普通、付き合うっていったら、逢瀬を重ねてお互いをよく知って、だんだんに親睦を深めていくとかなんだけど」
「そんなまだるっこしいことをしてられるか。 だいたい今更、互いに知らんことなどなかろうが」
確かにそうだ。
同じ布団にくるまってこんな話をしている時点で、親睦を深めるもなにもあったものではない。
「何もおまえと本気で交際したいわけではない。 試すだけなのだから、もっと簡単にできることにしろ」
東雲のささやかな期待はあっさりと却下されたが、この程度のダメージは織り込み済みだ。それならそれで、この好機を最大限に活用しようではないか。
「簡単にって言われてもねぇ……うーん、では、とりあえずキスでもしてみるかい?」
ダメもとで、そう提案してみた。
「あぁ? 何だと!?」
予想外のことだったらしく、蕾の声が跳ね上がる。はっきり言ってガラが悪い。
普段の東雲だったらこのくらい慣れっこなので気にも留めない所だが、この状況でこんな返事をされるのはかなり心臓に悪い。
「いや、その、今のは…」
東雲は慌てて前言を撤回しようとしたが、それを遮った蕾の言葉は予想を嬉しい方に裏切った。
「いや……そうだな。 それもいいか」
「いいの!?」
「たしかに手っ取り早そうだ」
「何が?」
「だからオレがおまえを、その、ど、どう思っているかがわかるだろうが」
なるほど。
自分の気持ちが恋なのか否か、さっさとハッキリさせてしまいたいというところか。
とはいえ強気な言葉とは裏腹に、緊張を隠しきれない様子がなんとも初々しい。
思わず瞳を細めた東雲に、何か言っておかなければと思ったのか蕾は焦って言葉を継いだ。
「そうだ、おまえは、あれ、あの東皇使の技を使うのはナシだからな」
「はいはい」
「あ…あと、イヤだと思ったら殴るぞ」
「……はい」
そうなると、照れ屋な蕾に対していきなりキスというのは、かなり分が悪いかもしれない。蕾の気持ちがどうこうという前に、恥ずかしくて殴られそうだ。
やっぱり抱き締めるくらいにしておけばよかっただろうか。
しかし、せっかくOKを貰えたのだ。殴られようとなんだろうと、こんな千載一遇のチャンスを逃すわけにはいくまい。
東雲は身体を起こして、仰向けに寝ている蕾の上に覆い被さるように移動した。
東雲の顔が近づいてくるにつれ、蕾の動悸が高まっていく。
どうすればいいのかわからなくて、こういう時は息を止めるものだろうか、目はいつ閉じればいいのか、などと益体もないことを考えてしまう。
そんな蕾に東雲は安心させるようにフワリと微笑んで、蕾の名を呟いた。
「…蕾」
すると、蕾の胸にまたもや不思議な感覚が生じた。
期待と切なさ、穏やかな安らぎとほんの少しの不安――
あ、と思った瞬間に、唇が柔らかく塞がれた。
「…蕾」
合図のように愛しい名を呟いて、そっと、軽く触れるだけの口付けを落とした。
柔らかい感触。
芳しい香り。
もっともっと堪能したい、という強烈な欲求が湧き上がってくる。
だが、東雲はなんとかそれを抑えて唇を離すと、怖がらせないように蕾に問いかけた。
「…どう?」
これだけ?
これで終わりなのか?
口付けをすれば自然に、嬉しいとかイヤだとか好きとか嫌いとか、そういった感情が劇的に現れるものだろうと思っていた蕾は、至って普通な自分の状態に拍子抜けしてしまった。
「よくわからん」
目を開けて東雲の顔を見返した蕾の様子は、怖がるどころか照れてすらいない。普通すぎて逆になんだか心配になってしまうが、とりあえず拒絶はされていないようだ。
東雲は少し肩の力を抜いて、再び顔を近づけた。
東雲が心配そうな顔で問うているが、何が何だかわからなかったので、蕾は正直にそう答えた。東雲は一瞬、少し困ったような顔をしたが、すぐにまた微笑むと、さっきよりもゆっくりと顔を近づけてきた。
だから、今度は蕾も少しだけ余裕を持って受け止める。
軽く仰のいて自然と瞳を閉じる蕾に、愛しさがこみ上げる。
東雲は先程よりもたっぷり時間をかけ、想いを込めて口付けた。
それから、感触を確かめるように何度も優しく唇を食む。
次第に高まる蕾の花気が、極上の香りとなって東雲の鼻腔をくすぐる。
震えるほどの幸福。
奇跡のような時間。
愛おしい。
好き。
愛してる。
どんな言葉でも表しきれないこの想いをあますところなく伝えたいと、こぼれる隙間のないように唇を深く重ねていった。
触れた唇から、東雲の気持ちが直に流れ込んでくる。
包み込まれるような、温かく、優しい想い。
東雲がどれほど蕾のことが好きか、言葉や表情なんかよりも、遥かに雄弁に伝わってくる。
こんなに愛されている。
これほどまでに想われている。
ああ、そうだ、自分はずっと昔から、この心地良さを知っている。
嫌なハズがない。
もっと知りたい。
もっともっと深い想いを感じたい。
蕾は深まる接吻けに応えるように顔を傾け、そっと東雲の背に手を回した。
やがて、長いキスを終えた東雲は、溢れる想いを鎮めるように、小さく囁いた。
「……好きだよ」
その言葉が聞こえているのかいないのか、蕾は心ここにあらずという風にぼんやりとしている。
東雲が辛抱強く見ていると、しばらくして蕾の瞳に意志の光が戻ってきた。
ゆっくりと焦点が定まる。
東雲は蕾と目が合ったのを確認すると、最後のオマケとばかりにチュッと軽く唇を合わせ、吹っ切れたように満面の笑顔を浮かべた。
そして、先ほどまでの雰囲気を断ち切るように、殊更に明るい声で言った。
「それで君は、少しは私に恋をしてもいいと思ってくれたかね?」
そこからの蕾の反応は凄かった。
まず、みるみるうちに顔全体が朱に染まった。次に、何か言おうと口を開くのだが、うまく言葉を紡ぐことができないようで、酸欠の魚のように口をぱくぱくと動かしている。
やがて蕾の右肩がピクリと動いたのを見た次の瞬間、東雲は寝台の端まで殴り飛ばされていた。
「……ちょ、調子に乗るなッ! そんなワケがあるかっ」
沸騰しそうなほどに赤くなって怒鳴る蕾に、渾身の一撃を食らった東雲は頬を押さえて呻いている。
ある程度予想していたとはいえ、あまりの仕打ちに意地悪半分で一応の反論を試みてみる。
「でも、すぐに殴らなかったってことは、別にキス自体は嫌じゃなかったとい……うッ」
今度はものすごい勢いで顔面に枕が飛んできた。
「い、イヤとかそういう問題ではなくて、とにかくダメだ! いいからもう、その顔を見せるな! そんな目でこっちを見るなッ」
「見るなって言われても…」
要するに、急に東雲を意識してしまい恥ずかしくなったのだろうが、随分とひどい言われようだ。
悔しいので、もうちょっと困らせてやろう。
「顔を見るのも恥ずかしいくらいドキドキしているなんて、まさに恋の症状ではないのかね」
「ち…違うっ、知らん黙れッ! ヤメだヤメ、とにかくもうこの話は終わりだ。 オレは帰るっ」
「はあぁ? 君、無理矢理私の寝台に乗り込んできておいて、今更その言い種はないだろう。 というか、御大花将ともあろう者がこれしきのことで逃げるのかい?」
「なんだと、キサマっ!」
「だって帰るんだろう?」
「うるさいっ、誰が逃げるか! もういい、寝るッ]
売り言葉に買い言葉で、まんまと東雲の罠にかかった蕾は、そのままバサッと頭まで布団をかぶった。
まったくもう、ホントに極端なんかだら…、と東雲は苦笑する。
先ほどは東雲の想いを受け入れるように口付けに応えてくれていたのに、今のこの照れようといったら。
まあ、それこそが蕾の魅力なのだけど。
まだまだ恋を知るにはほど遠いようだ。
楽しくてついつい苛めてしまったが、仕方がない、この辺でフォローしておいてあげよう。
東雲は、丸まって狸寝入りを続ける蕾の頭を撫でてやる。
「……心配ないよ。 君は私に恋をしているわけではないから」
その言葉が意外だったのか、蕾は布団から目だけ出して東雲を見た。だが、穏やかに微笑む東雲と目が合った途端にまた恥ずかしくなって、ぷいとそっぽを向いてしまう。
「べ、別に、心配などしとらん」
「そう? だったらいいけど。 ところで、私もそろそろ寝ようと思うのだけど、布団を半分返して貰えるかな」
蕾は黙ったままだったが、やがて自分が丸まっていた掛け布団をゴソゴソと広げて東雲が入るスペースを空けてくれた。
どうやら少しは落ち着いたらしいと東雲が安心して寝る体勢になったとき、ポツリと蕾が呟いた。
「……恋をしているわけではなくても、その、……さ、さっきのは別にイヤではなかったぞ」
「蕾…」
東雲は目を見開いた。
雰囲気で蕾が嫌がっていないのは分かっていたが、まさか蕾の口からそれを聞けるとは思わなかった。どういう心境の変化だろう。蕾の意識の中で、東雲も一応は恋愛対象だと認められたということだろうか。
思いがけなく嬉しい言葉に、東雲は相好を崩した。
「それで充分だよ…ふふ、ありがとう」
反対側を向いている蕾の顔は見えなかったが、たぶん赤い顔をして息を殺しているのだろう。何か余計な事を言ったらまた怒られそうなので、愛しさを就寝の言葉に封じ込めた。
「おやすみ、蕾」
東雲の想像通り、顔を真っ赤に染めたままの蕾は、しばらくじっと隣の気配を探っていた。ほどなくして、東雲が寝てしまったようなのを確認すると、そろそろと顔を出して息をつく。
結局、再会の時の奇妙な感覚も、今夜何度か感じた不思議な感覚もよくわからなかった。だが、東皇使が言うからにはやはり恋ではないのだろうか。
東雲の気持ちがどうだろうが、蕾の東雲に対する感情は良くも悪くもならない、大昔から千年後まで根本のところはずっと変わらないのだと思っていた。だからこそ、八年前に「関係は変わらない」と告げたのだ。先日、改めて告白された時も、いろいろ思うことはあったが、自分の気持ち自体は変わっていないと思っていた。そのはずだった。
でも今夜、言葉以外のところで、東雲が蕾を好きだということをいろいろ実感させられた。それがあんなに心地良いことだったとは。
誰かに想われて嬉しいと思うのは、相手が誰であっても、当たり前の感情なのだろうか。
相手の想いを知りたいというのは、単なる好奇心、あるいは優越感に過ぎないのだろうか。
そんなことはない、と思う。
では違うとしたら、この気持ちは何なのだろう。
いつか答えが出るのだろうか。
様々な疑問をとりとめもなく考えながら、やがて蕾は吸い込まれるように眠りに落ちた。

翌朝。
蕾が目を覚ました時、東雲はまだ寝ていた。
東雲が寝坊するなど珍しいこともあるものだと思った蕾は、東雲が実はあのあともずっと起きていて眠ったのが夜明け近くだったことなど知る由もない。
顔を合わせたらまた何を言われるか分かったものではないので、これ幸いとばかりにこっそり寝所を抜け出した。

神扇山から華恭苑まで戻ってきた蕾は、花園に咲き競う花々の眩しさに思わず目を細めた。
今年は久方ぶりに東皇使が聖仙郷にいるため、どこを見てもいつもより格段に華やいでいる。
噂好きの仙女たちは、これほどまでに春が艶麗なのは、東皇使様が熱烈な恋をしているからに違いない、円時山からこんなに早く戻ってきたのは后を娶るためではないか、などとまことしやかに囁きあっているらしい。
事実、恋ができないと思い込んでいた東雲がようやく恋を自覚したというのだから、噂の一部は当たってはいるのだろうが、そういうことがダイレクトに職務に影響する上、それを天界中に知られてしまうというのはいかがなものかと、当の想われ人である蕾からするとなんとも気恥ずかしい。
恋をした東皇使のもたらす春。
かつてないほどの華やぎに満ちた、極上の春――――
ああ、――そうか。
わかった、そうだったのか。
優しく包まれるような、思わず微笑んでしまうような、愛しさに満ちあふれたこの感じ。
まだ見たことのない、未知の出来事に出会うような予感。
期待や希望、歓喜と、その中にある切なさや戸惑い、そして一抹の不安。
フワフワと浮き立つような、ワクワクドキドキと何かを待ち焦がれるような、そんな空気。
なんのことはない、何度も感じたあの感覚は、確かに蕾がよく知っているものだった。
春だ。
まさしくこれから盛りを迎える、この季節そのものではないか。
そして、不意に理解した。
「春」という言葉が持つ、もうひとつの意味を。
知識として知ってはいたが、今、初めて実感として理解できた気がする。
そういうことなのか。
頭の中でカチリと歯車が噛み合って、バラバラだったいくつもの事象が一つの結論を導き出した。
なんだ、やっぱり恋だったのか。
当たり前のことのように、ストンと腑に落ちた。
意外なほどすんなりと納得している自分に少し驚く。
おそらくまだ芽吹いたばかりの感情で、漠然と思い描いていた感じとは違っていたから気付かなかったのだ。
ここ数日あれこれと難しく考えていたのが、なんだか馬鹿みたいではないか。
東雲のことをとやかく言えたものではないな、と我ながら可笑しくなる。
と、そこで差しあたっての問題にハタと気付いた。
そう、このことを東雲に言うべきか、言わざるべきか。
おそらくこんなことを言ったが最後、調子に乗りまくるに決まっている。それはかなり鬱陶しそうだ。それに、まだ自分の気持ちがこの先どうなっていくのか皆目わからない。
やはり当面は黙っていた方がいいだろう。
東雲が緑修天司になる頃か、それとも「関係は変わらない」と言っておいたのだから、百年先か千年先くらいでもいいかもしれない。
まあ、時間はたっぷりあるのだから、いずれ言う機会もあるだろう。
できれば、東雲が思いもよらないような時、ここぞというタイミングで言ってみたいものだ。
ただ一言、「おまえが好きだ」と。
その時、東雲はどんな顔をするのだろう。
想像するだけでクスクスと笑いがこみ上げてくる。
立ち止まって、思いきり深呼吸をしてみた。
芳醇な春の息吹とともに、万物をはぐくむ力強い生命力が身体中に流れ込んでくる。
全身で感じ取る、新たな季節、新たな予感。
ここから、また、何かが始まるのだ。
心の中に、決して変わらない想いがある。
けれども、新たに生まれ育まれていく想いもある。
どちらかが、より大切なのではなく、
それぞれがかけがえがなく、
どちらもが特別なのだ。
それでいい。
二つの想いをしっかりと心に刻み、この世界に生かされている意味を問い続けていこう。
この先もずっと、前を向いて、共に、歩いていけるように。
春が来た。
春は変わらずやってくるが、同じ春は二度とない。
この春は、特別な春。
春還る――――聖仙郷に、そして蕾の元に、春の遣いが還って来た。
fin.
ようやく終わりました〜
すでに初夏だというのに、春まっさかりのラストになってしまい、かなり季節外れな…^^;
でもまあ、今年の下界はどうも天候不順なようなので、妄想の中だけでも、蕾と一緒に東皇使サマのもたらす春を感じられたらいいなあ、ということでv
最初の予定よりもかなり長くなってしまいましたが、最後までおつきあいいただいてどうもありがとうございました