「ここだ」
やがて二人が降り立ったのは、小蓬莱。深夜なので、花精達もすっかり寝静まっている。
「小蓬莱…? ここになにかあるのかい」
「何も」
「では、どうして…」
「ここなら誰にも気兼ねすることはない」
東雲は蕾の顔をまじまじと見る。
「……なにがだね」
「何にも煩わされず、一人きりになれる」
「…………」
「オレもしばらく向こうへ行っている。 何かあったら呼べ」
そう言って歩こうとしたのだが、左手が引っ張られて進めない。そういえば飛んでる時から東雲と手を繋いだままだったと思って見ると、東雲が思いのほか強い力で蕾の手を掴んでいた。
「東雲、手を…」
「……ここにいてくれ」
「……」
一瞬驚いたが、東雲がそう言うのなら異論はないので、蕾も一緒に腰を下ろした。蕾は片膝をたてて、東雲は両膝を片手で抱えるようにして座る。
互いの手はしっかりと握ったままだ。
再びの静寂。
が、今度は先ほどとは違ってさほど気詰まりではない。馴染みのある、心地良く穏やかな気配が漂っていた。
さらに、小蓬莱の清浄な空気が、落ち着きと癒しを与えてくれている。
しばらくすると、東雲は抱えた膝の間に顔を埋めた。
蕾がチラリと目をやると、彼は、嗚咽もなにもなく、ただ静かに涙を流していた。
それでいい、と蕾は思う。
喪失感が深く辛すぎると、感情が麻痺して泣けなくなる。そのままではいくら時間が経とうとも、決して悲しみが癒えることはない。
たとえ、感情が戻らないままでも、涙を流すだけで悲しみの幾分かは昇華されていくものだ。

どのくらいの時が過ぎただろう。
握りしめられていた手が緩まって、東雲がゆっくりと顔を上げた。まだ、ぼんやりとはしているが、すさんだような気配はなくなっている。
蕾はそんな東雲の様子を一瞥すると、なにも言わずに立ち上がった。
「…蕾?…どこへ…」
離された手を見る東雲の表情に、微かな不安の色がよぎる。まるでおいて行かれた子供のような心細げな様子に、蕾は安心させるように優しく微笑んだ。
「心配するな、すぐ戻る」
言葉通りすぐに戻ってきた蕾は、再び隣に座ると、手にしていた黄色い花のついた枝を東雲に渡した。
「やる」
「………金糸梅……?」
「こういう時には、ふさわしかろう」
小蓬莱だから少しくらい時季が外れた花があってもおかしくはない。しかし、ふさわしいというのはどういうことだろう。まだ頭に霞がかかったようにぼうっとしていて、蕾が何を言っているのか分からない東雲は小首をかしげた。
そんな東雲をじっと見ながら、蕾は急かすでもなく答えを口にするでもなく、東雲が気付くのを辛抱強く待っている。
やがて少しずつ思考力を取り戻した東雲は、ようやく蕾の意図を理解した。
金糸梅(キンシバイ)の花言葉は、「悲しみを癒す」「悲しみは続かない」。
「…ああ……そうか、そうだね……………そういえば、秘密、ともいうね」
「どちらにしろ、おあつらえ向きではないか」
東雲が泣いていたことは、ここだけの秘密にしておいてくれるということか。
「たしかに」
東雲は目を伏せて少し笑った。
その弾みで、まなじりに溜まっていた雫が一粒、また一粒とこぼれ落ちる。
蕾は手を伸ばして東雲の顔をこちらに向かせると、目元近くに唇を寄せてその雫を吸い取った。さらに、その軌跡をたどるように唇を移動していく。
目元から頬、そして頬から、唇へ。
「蕾……」
東雲の口の端についた涙を舐めとった蕾を、東雲は、驚きと混乱のないまぜになった表情で見つめている。まだ充分に回転していなかった脳は、再度、完全な機能停止に陥っていた。
いつもは圧倒されるほどに強い光を放っている蕾の瞳が深い静謐を湛えている様子に、まばたきすることすら忘れて魅入られてしまう。
その視線を見返しながらも、蕾は内心、東雲以上に狼狽えていた。今、自分は何をしたのだ。東雲の涙を見た瞬間、ほとんど無意識に、自然と唇を寄せてしまった。
さらに不可解なことに、今こうして間近に見つめ合っていると、もっと触れたいという衝動がわき上がってくるのだ。
そして、どちらからともなく顔が近づき、引き寄せられるように唇が重なった。
触れては離れ、離れては触れる。
羽毛のように柔らかい接吻けを、何度となく繰り返す。
そのうちに東雲は堪らなくなって蕾を強くかき抱くと、その小さな肩に顔を埋めた。
蕾は東雲のされるがままになっていたが、肩口から押し殺したような微かな嗚咽が聞こえてきたので、彼の背中に手を回し宥めるようにさすってやる。
麻痺していた感情がようやく戻ってきたのだろう。この分ならもう大丈夫、あとは時と共にゆっくりと悲しみが癒えてゆくはずだ。
いつもは東雲に肩を抱かれたりすると、封印された自分を否応なく意識させられる体格差や、同い年とは思えない保護者のような態度に苛立つことも多いのだが、今日はそれをまったく感じない。
はるか昔、同じ時を同じように過ごしていた頃の自分たちに戻ったようだ。
すがりつくようにしっかりと身体に回された東雲の腕を存外心地良く思いながら、蕾は飽くことなく彼の背を撫でていた。

「そろそろ行くか?」
東雲が静かになって、抱きしめられていた力も弱まったので、蕾は身体を離してそう言ってみた。
少し間があってから、掠れた声が返ってくる。
「…もう少しだけ、ここにいたい」
「そうだな…それもよかろう」
何も聞かずにそう言ってくれる蕾の心遣いが、心の底からありがたい。
本当はもう、平常心のフリができるくらいには復活している気もするが、ここでいきなり普段の態度に戻れるというものでもない。というか、我に返って改めて思い返してみると、蕾に泣き顔を見られたことや感情のままにすがりついてしまったことが、どうにもこうにも気恥ずかしいのだ。
今日の蕾はいつになく優しいし、せっかくだから、まだ弱ってることにして甘えてしまおう。
東雲は先ほど貰った金糸梅に口を寄せてからそれを蕾の唇にも触れさせ、暗に「秘密」を仄めかすと、窺うように呟いた。
「…もう一度、君に触れてもいい?」
「…………そういうことをいちいち聞くな」
怒るべきか呆れるべきか決めかねているような微妙な口調だが、微かに染まった目元を見るに、これはお許しが出たと思ってよさそうだ。
東雲は少し表情を緩めて、優しく唇を重ねた。
ありがとう。
今はまだ自分の中で整理がついていないけれど、いつか、もう少し落ち着いたら、君に月朶のことを聞いて欲しい。
同情や慰めの言葉が欲しいわけではなく、ただ、誰よりも大切な君に、大切な人のことを話したい。
きっと君は、何も言わずに聞いてくれるだろうから。
明日になったらいつもの私に戻るから、もう少しだけこうしていて…。
キスの合間にそんなことを囁いてみたら、「仕方のないヤツだな」とでもいうように蕾が微かに笑った気配がした。
end
このしばらく後、「外法崩」で東雲が蕾に月朶のことを言葉少なに語りますが、あのシーンの蕾の「わかってる」的な態度がすごく好きですw
金糸梅は梅雨〜初夏に咲く黄色い花で、花言葉から探して行き当たりました。
作中に使ったもののほか「きらめき」「愛情」などの花言葉もあるようです。
まあ、東雲にとっての癒しは何よりも蕾がそばにいてくれること、ということで、タイトルは金糸梅というよりも蕾のことなんですが^^;