萌芽 後編



 蕾と同じ布団になど入ったら余計眠れないのは火を見るより明らかだが、降って湧いたようなこのチャンスを逃すわけがない。
 どうせ蕾は見てないからと緩みっぱなしの頬を押さえようともせず、心を落ち着かせるためことさらゆっくりと夜着に着替えてから、「じゃあ、お言葉に甘えて」と蕾の隣に滑り込んだ。

 さすが皇子の私室だけあって、俗界における東雲の下宿のベッドとは比べようもないほどに広く、二人が寝ても余裕はある。しかし、所詮は独り寝用なので、いくら離れていようと互いのちょっとした動きや息遣いが感じられるくらいには狭い。

 東雲としては非常に嬉しいシチュエーションながら、ここで何かしようものなら確実に蕾の機嫌を損ねることになるため、伸ばしたくなる手を必死で押さえるべく自分の心と格闘していた。
 だから、ぽつりと呟かれた蕾の台詞にとっさに反応できなかった。

 「……いつからだ」
 
 「え?」
 あわてて蕾の方を向くが、背を向けているので表情がわからない。
 「いや、何でもない」

 蕾はそれきり黙ってしまう。
 彼にしては珍しいことだが、こんな風にすぐ言葉を引っ込めてしまう時こそ本心が垣間見えるのだということを、東雲はよく知っている。「いつから」とは、東雲が蕾を好きになった時期はいつか、ということか。この話題は完全にスルーされたかと思っていたが、一応、気にしてくれていたようでホッとする。
 この機を逃せば二度とこんな話はできないかもしれない、そう考えた東雲は、胸の内を正直に話すことにした。

 「うーん、気が付いたら、としか言えないな。ああ、でもはっきりと自覚したのは、下界で君と再開して、身近に関わるようになってからだから最近だよ。 それでも本当は、君に気持ちを告げるつもりなんて全くなかったんだけど」
 世の中、何がどう転ぶかわからないものだよね、と淡々と語る東雲は、人生最大の山場を越えて開き直ったのか、むしろすこし楽しそうだ。
 そんな東雲の様子を怪訝に思ったのか、蕾がようやくこちらに向き直った。
 「なぜだ」
 「それはやっぱり、私が東皇使だからというのが一つかな。男女の恋愛や繁殖を司る者が、同性に恋しているというのはあまり大きな声で言えるようことではないし」
 「そんなのは、別に公表しなければいいだけのことだろうが。一つということは他にも理由があるのだな」
 「さすがだね。そう、一番の理由は君だ」
 「オレ?」
 「君を怒らせたり悩ませてしまうかもしれない。 それだけじゃなくて、ひょっとしたら避けられて、二度と以前のような関係には戻れなくなってしまうかもしれないと思うと、とても怖かった。 まあ、これでもけっこう色々と考えていたのだよ」
 あまり深刻に聞こえないようにと冗談めかして語るが、その言葉こそ紛れもない真実だ。そして蕾も、そんな東雲の性格をよくわかっている。
 「……ふん、馬鹿にするな。 お前じゃあるまいし、オレがそれしきの事で悩んだり態度を変えたりするものか。 お前がオレをどう思っていようが、そんなのはお前の勝手だ。オレにとっては、お前がイヤミったらしくて大っ嫌いな幼馴染みだという認識になんら変わりはない」
 
 ぶっきらぼうに淡々と語る蕾。
 言葉面だけ聞くと相当ひどいことを言われているようだが、それを聞いた東雲はじんわりと胸が温かくなるのを感じていた。素直でない彼の言葉裏を読み取ることにかけては、誰にも譲れないという自負がある。
 要は、東雲が蕾を好きだということは認め、その上でこれまでと変わらず接してくれる、ということだ。
 この関係が崩れてしまうことを最も恐れていた東雲にとって、それは何よりの嬉しい言葉に違いない。天を仰いで感謝したい気分だ。

 「ふふ……やっぱり君にはかなわないな」
 「当たり前だ。オレを誰だと思っている……」

 そんないつもの他愛ないやり取りが、またたまらなく幸せだ。
 蕾は聞くだけ聞いて気が済んだのか、すでに寝息をたてはじめている。
 さっきまではとても眠れないだろうと思っていた東雲も、安心して穏やかな気分に満たされたためか、忍び寄る睡魔に白旗をあげた。

 「おやすみ、蕾………………大好きだよ」
 傍らで眠る花に小さな声でささやくと、ほどなく眠りについた。

 だから東雲は気付かなかった。暗闇のなか、百戦錬磨の御大花将が全身を真っ赤にして、高まる花気と逸る鼓動を必死で抑えようと苦悶していたことを。
 もし気付いていたら、さらにいらぬちょっかいをかけてボコボコにされるのは明らかである。いくら自己治癒力の高い緑仙とはいえ、朝日まではまだ間がある。東雲が眠ってしまったのは双方にとって良かったということにしておこう。







 翌朝、東雲は芳醇な花の香りで目覚めた。蕾の花気だ、と頭で理解するより先に、本能的に香りのする方へ寝返りを打とうとするのだが、すぐ横に何かがあって動けない。
 まさか、という思いと、ひょっとして、という期待で一気に覚醒した東雲が、身体を半分起こしてそうっと覗くと、果たしてそこには彼に寄り添うようにして眠る蕾の姿があった。
 (これはこれは……無意識とはいえ、まったく……。 君のこんな姿は、私だけの特権だと思っていいんだろうね?)

 東雲は嬉しい溜め息をつきながらも、このまま寝台から出てしまうか、蕾が起きるまで横にいるべきか悩んでいた。
 このまま寝台を出るのは勿体無さ過ぎるし、まだ起床には早い時間だ。しかし、もしこの状態で蕾が起きてしまったら、この体勢になったことがすべて自分のせいにされて怒られるのは確実である。
 というわけで、少しでもこの状況を長く堪能していたい東雲は、彼が起きるまで狸寝入りを決め込むことにした。東雲が寝ていようがいまいが、蕾が起きた瞬間に殴られるという可能性も高かったが、その時はその時だ。

 蕾を起こさぬ様にふたたび横になると、不自然にならない程度にそっと抱き寄せ、幸せの中にもいくぶんかの緊張を潜ませて彼の目覚めを待つ。 


 「……ん……東雲?」
 慣れ親しんだ優しい気配を感じて、蕾は目を開けた。しかし、すぐ目の前に何かがあって状況がわからない。怪訝に思い、少し首を上に向けると、そこには穏やかな東雲の寝顔があった。
 「!ぅ(わっ)……っ!!」
 あまりの驚きに大声をあげそうになって、慌てて口を塞ぐ。
 起こしてしまったかと、おそるおそる目を向けると規則正しい寝息が聞こえてきた。とりあえずホッとした次の瞬間、蕾はさらなる衝撃に見舞われた。
 なんと、東雲と抱き合うようにして寝ていたのである。

 (ちょっと待て、なんでこんな状態に……昨夜は……昨夜…………………。……いやでも、そのままフツウに寝たはず。こいつ、まさか何か不埒なことをしたのではあるまいな。いや、それなら気付くはず……オレがこの位置にいるということは、もしかしてオレからすり寄っていったということに、なるのか……?……こ、こんな状態でこいつが起きたら、何を言われるかわかったものではない。とっとと起きて華恭苑に戻ってしまおう)

 なんとか東雲を起こさないように抜け出そうと焦るが、意外としっかり腕が回されていて外れない。やむを得ず少し力を入れて東雲の肩のあたりをつかんだ時、「……蕾?」と、今もっとも聞きたくなかった声がした。
 
 「し、東雲、起きたか」
 「蕾、起きてたの? 気分はどう?」
 サイアクだ…と思ったが、寝起きの東雲は、幸いこの状態にまだ気付いてないようで、いつもの決まり文句が出てきた。蕾は、まるで縋りつくように東雲の肩に置いてあった手をさり気なく戻しながら、ことさら無愛想に答える。
 「別に、なんともない」
 「そう、よかった ……ところで、蕾」
 まんまと目論みが成功した東雲は、蕾をしっかりと抱き込んだまま、満面の笑みを浮かべた。

 「君に抱き癖があるとは知らなかったよ」
 「抱っ………ち、違うっ! 寝ぼけただけだっ、オレはしらんっ! だいたいキサマの腕が邪魔でっ…… いいから起きたのなら早くどけっ!!」
 顔を真っ赤にして悔しまぎれに怒鳴ってみるが、東雲にとってはどこ吹く風。そんな蕾が可愛くて仕方ない。
 しかしあまり調子に乗ってヘソを曲げられても困るので、苦笑しながら解放してやった。やっとのことで東雲の腕から逃れた蕾は、とりあえず東雲の頭にガツンと拳骨を見舞ってから、寝台に腰掛けて着替えはじめた。
 
 「あいたた…まったく。 華恭苑に戻るかい?」
 「当たり前だ」
 「そう、では錦花仙帝さまと薫どのによろしく言っておいておくれ。 私は兄上様たちに御挨拶したらその足で下界に戻るから」
 その言葉に、蕾ははっと顔を上げた。
 しかし、まさか彼がそんな反応をするとは思っていなかった東雲の方が驚いてしまう。
 「蕾?」

 「お前…」
 華恭苑にも顔を出さずすぐに下界へ戻るということは、つまり、蕾の回復を待つためだけに天界に留まっていたということだ。当たり前のような顔をして看病しているから気付かなかったその事実に、今さらながら思い当たってしまった。
 しかし、ここで素直に礼を言える性格なら苦労しない。

 何か言いたそうに居心地の悪そうな顔をしている蕾を見て、おおよそを察した東雲は、助け舟を――蕾はそうは思わないだろうが――出してやる。
 「どうかしたかい? もしかして一緒に帰って欲しかった?」

 バキイッ!

 案の定、渾身の右ストレートとともに、彼らしい元気な(?)怒鳴り声が返ってきた。
 「誰がだっ! もういい、帰るっ」
 
 お礼を言われるより怒鳴られる方がいいなんて、自分も相当だと思う。でも、蕾が東雲に対して負い目なんて感じる必要はないのだ。
 いつだって、彼が東雲にしてくれること、与えてくれるものの方が、遥かに多いのだから。

 だが、そんなことを考えながらも、まだ何か言いたそうにしている蕾を見ると、むくむくと悪戯心が湧いてきてしまう。恋愛のエキスパートたる東皇使の分際で、好きな子をついつい苛めてしまう小学生と変わらない。

 「あ、ちょっと待っておくれ。 忘れ物だよ」
 窓枠に手をかけ、まさに飛び出そうとしていた蕾が、え?、と振り返る。いつの間にか側にきていた東雲は、蕾の頬に手をかけると素早く唇を掠めとった。
 「!!! し、東雲っ…キサマっ……」
 怒りと羞恥で真っ赤になっている蕾に向かって、にっこりと笑う。
 「お礼はこれでいいから」
 「た、たわけっ! 調子に乗るなっ、このバカモノッ!!」


 ほどなくして東皇使付きの侍従が庵にやってきた時、部屋の中には、くっきりと拳の痕が残る顔で涼やかに微笑む主の姿と、極上の花の香りだけが残されていた。


FIN



  ほう‐が【萌芽】
   1 草木の芽のもえ出ること。また、その芽。めばえ。
   2 新しい物事が起こりはじめること。また、物事の起こるきざし。《大辞泉より》
                    


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10年ほど前に、私が初めて書いたしのつぼに若干加筆しました。
あのシーンの後、何が起こったのか友達と話していて「キスは当然しただろう。その流れで、なんらかの告白もしてたら尚良し」という結論に落ち着き(?)、勢いでこんなものを書いてしまった記憶が…。
雰囲気だけでも楽しんでいただけたら嬉しいです。



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