「何も言わないでおくれ… よかった……君が無事で。……私は……」
そう言って、きつく抱き締めてくる東雲に、蕾は条件反射で東雲の背を抱き返しながら、
ぼんやりと
(ああ、オレは本当に帰ってこれたのだな)
と感じていた。
そのまま、どれだけの時が経ったのだろう。
蕾の肩口に、ふわっと東雲の吐息がかかる。泣いているのかと思ったが、そうではなく、詰めていた息をゆっくりと吐き出したようだ。
「…東雲…」
ためらいがちに相手の名を呼ぶと、そっと体を離して心配そうに覗き込むいつもの幼馴染みの顔があった。
「蕾…大丈夫かい?どこか具合の悪い所はない?」
「いや……別に平気だ」
正直、まだ頭の芯がぼんやりしているし、身体は鉛のように重かったが、その程度のことはとっくにばれているのだろうからあえて言うこともない。
「そう。でももう少し眠った方がいいね」
案の定、東雲は、仕方ないというように少し微笑んでそう言うと、恭しく蕾の身体を布団に横たえ上掛をかける。普段そんな事を言われたりされたりしたらムキになって反抗するのだが、さすがの蕾もまだその気力がなく、東雲にされるがままになっていた。
そうやって蕾を元通り寝かせると、東雲は脇机に置いてあった薬湯を取り上げそれを口に含み、そのまま蕾の上に覆いかぶさってきた。
蕾の頬に右手を添えて近付いてくる東雲の顔を、蕾は他人事のように眺めている。
東雲は蕾がついぞ見た事がないような表情をしていた。真摯な、と形容するのが相応しい瞳、その奥に何かとても深いものを秘めているような――――。
(コイツは、オレにこんな表情(かお)もするのか…)
埒もないことを考えていると、視線を合わせたまま、ゆっくりと唇を押し付けられた。
薬湯を流し込まれた蕾の喉がコクンと動いて、口移しされた物を飲み下す。
蕾が薬湯を飲み込んだのを確認すると、東雲はそっと唇を離した。
しかし起き上がるわけではなく、同じ姿勢、同じ表情のまま、吐息が触れるような距離でじっと蕾を見つめている。
「…東雲?」
無防備な、あどけないほど純粋な疑問の響き。すると、まるでそれが合図であったかのように東雲の瞳が伏せられ、そして、再び唇が重ねられた。
そう長い時間ではなかったと思う。
しかし、直に注ぎ込まれた東雲の想いは、薬湯よりも深く確実に全身に浸透していった。
東雲はやがて、何ごともなかったようにそっと身体を起こした。
そして、蕾の口の端に零れた薬湯を指で掬ってから、また、いつもの慈しむような眼差しに戻って、
「ゆっくりおやすみ」
と、蕾の髪を指で優しく梳くようにした。
(今のは……なんだ……?)
東雲に聞いておかなければならない気がするのだが、頭がぼうっとして上手く働かない。
薬湯のせいか髪を梳く東雲の手の心地よさのせいか、蕾はほどなく深い眠りにおちていった。

次に蕾が目を覚ました時にも、やはり東雲は同じように寝台の傍らにいた。
「蕾、気がついたかい。気分はどう?」
「ああ…だいぶいい。それよりノドが乾いた」
実際、熟睡した後だからか頭もスッキリしているし、身体も難無く起こすことができる。
東雲が持ってきた水を飲み一息つくと、ようやく様々な疑問が蘇ってきた。魔神獣の事、自分の封印の事、畏界の事、下界の事――矢継ぎ早の質問に一つ一つ丁寧に応えながらも、東雲は要領よく蕾の身体を診ていった。
「よかった。このぶんなら明日には君を華恭苑に帰せるね」
東雲がほっとしたようにそう言うのを聞いて、蕾は夜着に袖を通しながら怪訝な顔をした。
「別に明日ではなくても、もう戻ってもよいのだろう?」
東雲は一瞬、意表をつかれたような顔をしたが、それから「ああ」と言ってクスッと笑った。
「君はずっと寝てたからわからないかもしれないけど、もう相当遅いのだよ。まあ、いつもの君にとってはまだ宵の内かもしれないけど、さすがに病み上がりでこんな夜更けに出歩くのを許すわけにはいかないしね。たとえ君がよくても、私がそんな非常識なことをさせたとでも思われたら心外だ。それに、薫どのももうとっくにお休みだと思うよ。さ、君ももう横になって」
バキィッ!
いつもの見透かしたような嫌味ったらしい口調にムカッとして考えるより先に殴ってしまったが、ふと周囲の気配を探ると、確かに深夜なのだろう、あたりはシンと静まり返っている。
「ふん…さっきまでさんざん眠っていたのに、そうそう眠れるか。つまらんから酒をもってこい」
「蕾……君ねえ。確かに回復はしてるけど、まだ本調子にはほど遠いはずだよ。酒なら薬酒で我慢しなさい」
あきれながらも諦め顔の東雲が薬酒の小瓶を渡してやった。
蕾は寝台に頬杖をついて横になりながらそれを直接グイッと呷って、「不味い」などと言っている。よくそんな姿勢でこぼさず飲めるものだと半ば感心している東雲を後目に、蕾はあっという間に一本空けてしまった。
だが、普段の蕾ならいざしらず、やはり本調子ではないのか、よく見ると頬がほんのりと染まっているうえ半眼になっている。要するに、けっこう酔ったようである。
そんな様子に東雲はため息をつきながらも、瓶を片付けようと蕾の方へ手を伸ばした。その途端、酔っぱらいは何を思ったか、東雲の腕をぐいっと掴むと強引に寝台に引っ張りこんだ。
「うわっ、な!ちょっ…つぼみ!?」
バランスを崩して蕾の上に倒れこんだ東雲を、蕾はいとも簡単にひっくり返してしまう。そして、その上に馬乗りになると、上から東雲の顔を覗き込んでニヤリと笑った。目が据わっている。
押し倒された形になった東雲は、酔って上気した蕾の顔が至近距離にあることにうろたえつつも、イヤな予感に身を固めた。
「つ…蕾?」
「そういえばお前に聞かねばならんことがもうひとつあった……なんだかわかるか?」
こういうのを蛇ににらまれた蛙というのだろうか…。冷や汗をかきながらも精一杯の笑みを作って、話をそらしてみる。
「えー…っと…。ああ、透がどうしてるか、とか? し、心配ないよ。藍影将軍が芙蓉門で保護してくれていたから」
「そうか、それならよかった……って、違うっ!!」
蕾がいきなり大声を出して東雲の胸ぐらを掴んだ。一瞬誤魔化せたかと思ったのだが、それは儚い夢だったようだ。
それってノリツッコミというやつかい、と脳内で現実逃避もしてみるが、それをここで口に出すほど東雲とて命知らずではない。
「東雲おまえ… さっきオレが眠る前にしたのは何だ?」