唇に触れた途端、ピクッと蕾の身体が緊張したのが分かったが、抵抗はされなかったので、2度、3度と啄むように口付ける。
最後は少し長めに堪能したものの、今日のところはそれ以上進まずに離れた。
「心配してしまうのは、君が好きだからだよ」
東雲は優しい笑顔で、どこか陶然としている蕾と視線を合わせる。
が、すぐさま我に返った蕾の掌にぐいっと顔を押し戻されてしまった。
「わ、分かっとるわ。 もういいのだろう、さっさと離せ」
殴られなかったのはかなりの進歩だが、今夜はこのくらいでやめておいた方がいいだろう。あまり機嫌を損ねると、またしばらくは来てくれなくなってしまう。
東雲は苦笑しながら、赤い顔をしている蕾を解放してやった。
「透の所へ?」
すでに窓に手をかけている蕾に声をかける。
「ああ」
「おやすみ。 気をつけて」
寸分の未練もなく飛び立っていく蕾を、その気配がなくなるまで見送ってから、東雲はベッドに戻った。
そして、先ほど触れた唇の感触を思い出しながら、ほどなく幸せな眠りについた。

その頃、透のマンションまで飛んできた蕾は、部屋の主がいないのに気がついた。
おそらく夜遊びに出ているのだろう。透はああ見えてけっこう寂しがりやだから、ここのところ蕾も薫もいないマンションには帰る気がしなかったのかもしれない。
さてどうしたものかと蕾は頭を悩ませる。
この時間に帰ってないとすると、透は徹夜コースだろう。蕾も普段なら合流するのにやぶさかではないが、いかんせん今日は飲む気も遊ぶ気もしなかった。
傷が完治しておらず本調子ではないということもあるが、それよりも精神的にかなりぐったりときていたのである。
(緑仙の分際で、癒すどころか余計に疲れさせるとは何ごとだ! あの未熟者めっ)
東雲の前だと、慣れもあってなんとなく流されてしまうというか仕方がないという気になっているのだが、しかし、いざ時間が経ってあれやこれや思い返してみると、ふつふつと恥ずかしさが込み上げてくる。
そしてひとり赤面したり怒ったり弁解してみたりと、ますます気力を使ってしまうのだ。
このまま窓から入ってさっさと寝てしまえばいいようなものだが、それもなんだか気が進まない。
ガランとした真っ暗な部屋で一人眠ることを考えると、先ほどまでいた、ほんのりと春の気配がする部屋が無性に羨ましくなってくる。
しかもあの部屋は、小逢来とまではいかなくても、俗界においては他の場所よりも格段に清浄なので、疲れたり弱っている時ほど居心地がいいのだ。
もう寝ただろうか。
いや、いい。寝ていようがなんだろうが、あいつのせいでこんなに疲れたのだから、自分はあの心地よい部屋で寝る権利がある。
――いつもの蕾なら、そんなことをしたら東雲が喜ぶだけだということにすぐ気付きそうなものだが、極度の精神的疲労ゆえか、はたまた東雲マジックなのか、蕾自身よくわからない論法でよくわからない結論に達してしまったようだ。
そして彼は、迷うことなく、幼馴染みの部屋へと戻っていった。

翌朝、東雲はかなり早い時間に目覚めた。
昨夜は蕾がきてくれたため、わりと遅くまで起きていたのに、なぜこんな早起きしてしまったのか。
すぐにその原因に思い当たった。
先ほどから、ありえないはずの芳香が漂っているのである。しかも残り香のような微かなものではなく、開いたばかりの花のような瑞々しい香り。
まさかと思ってその花気の元をたどると、なんと自分が寝ているすぐ隣に、あどけない顔で眠る花の皇子の姿があった。
一体何で…と昨夜の記憶をたどった東雲は、寝入りばなに見た不思議な夢を思い出した。
――ベッドのそばには何故か帰ったばかりの蕾がいて、いきなり服を脱ぎ出した。そして下着一枚になると、何も言わずに東雲の上掛けをはいで「もっとつめろ。オレが寝られないだろう」などというのだ。
夢の中の東雲がいわれるままに場所をあけてやると、蕾は当然のようにそこに寝転がり、あっという間に寝息をたてはじめてしまった――
あれはもしかして夢ではなかったのか。実際に、こうして蕾が半裸で寝ているということは、一旦帰ったあと、再びここに来たということだろう。
どうしたんだろう。安らかな蕾の寝顔を見る限り、透や花精達に何かあったというわけではなさそうだが…。
と、蕾が小さく身じろぎをした。
「ん……」
「……おはよう、蕾」
状況がよくわからないながらも、とりあえず声をかけてみる。
しかし、状況がわからないのは蕾も同じだったらしい。
「あぁ? なんでおまえがいるんだ?」
「なんでと言われても……一応、ここは私のベッドなのだけど」
ぼんやりと東雲の顔を見ていた蕾が、ああそうだった、と眠そうに答える。
「透がいなかったから戻ってきたんだ。 おまえのせいだからな」
前半と後半がつながらない。
「そ、そうなのかい?」
「まだ眠い。 もう少し寝かせろ…」
言いながら、蕾はすぐに夢の中へと戻っていってしまった。
さて、どうしたものか…まあ、蕾の様子だと、とりあえずはまだこのままで良さそうだ。
東雲はそう結論づけると、ふたたび自分も横になってしっかりと蕾を抱き込んだ。
そして、昨夜から今朝にかけての降ってわいたような幸運の数々に心から感謝しながら、腕の中で眠る花を飽く事なく眺め続けていた。
END
「聖白鬼」の後、なぜ東雲は傷付いた蕾が目が覚めるのすら待たずに
下界に戻ってしまったのか。
最後のページの左上の東雲の顔を見る限り、東雲の意志で戻っのではなく、やむにやまれず戻されたのに違いない、
そしてあの東皇使さまにそんなことをさせられるのは五百重兄しかいないだろう、というようなことでこんな話を作った記憶があります。